真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

私の脳みそは私の物か

[私の脳の所有者は?]
◎「私が私の脳を持っているのか、それとも、私の脳が私を召し使っているのか」。時に、わたしはこういう疑問を抱く。
参考資料→「慣れた単純作業をすると」
[よくダジャレを飛ばす]
◎私は、家族内でよくダジャレを飛ばす。家族からは、白い目で見られるが、それでも私は得意になって、飛ばし続ける。
[ダジャレを考えるのは誰だ]
◎でも、ふと、このダジャレを考えているのは誰だろうと疑問に思う。私は、ただ頭の中に浮かんだ言葉を飛ばすだけで考え出したりなどしていないからだ。
[脳の自律機能]
◎私は、それを脳の自律機能だと考えている。脳は、知識を放り込んでやると、ある一定量になると、自走し始める。投入した知識に法則を見出して、その法則に基づいて自走機能する。
[自走する脳は無意識]
◎このように自走する脳を無意識と呼ぶ。それに対して、その上に意識が重層する。意識は確かに私の物だといえる。しかし、だからといって、単純に、もはや自走する脳(無意識)までも自分のものといってもよいものだろうか。
[胡蝶の夢]
◎有名な「荘子胡蝶の夢」がある。荘子は、夢の中で、蝶になり、蝶として大いに楽しんだ。そこで夢が覚めた。
[主客の逆転]
◎それを思想家荘子は悩む。「果たして、私が夢を見て蝶になったのか、それとも蝶が夢を見て私になっているのか」と。「私の夢の中の蝶か、蝶の夢の中の私か」と。主客の逆転が起こる。
[彼の顔はユング自身]
◎心理学者ユングも同じような夢を見る。「一人のヨガ行者がこちらを向いて結跏趺坐して瞑想に耽っている」。「彼の顔をよく見ると、ユング自身だった」と。
[行者が自分を瞑想]
ユングは直感する。「行者が自分を瞑想している」と。「自分は行者が見ている夢である」と。とすれば、「行者が目覚めたら私はもはや存在しなくなるだろう」と。
[洋の東西で巨匠が同じ夢を見た]
◎この「ユングと行者の関係」は、先ほどの「荘子と胡蝶の関係」と全く同じである。洋の東西で思想的巨匠が同じ夢を見た。
[利己的遺伝子]
◎科学の世界では、「利己的遺伝子」という言葉がある。「私たちが体内に遺伝子を持っていると考えがちであるが、実は遺伝子が私たちを支配している」という。そうなれば、「生物と体内遺伝子との関係」は、「ユング荘子と、行者・胡蝶の関係」と同じである。
[私と脳みその関係]
◎こう見てくると、「私と脳みその関係」は、「生物・ユング荘子と、体内遺伝子・行者・胡蝶の関係」と同じであるとも見えてくる。
[キリスト、我が内にありて生きる]
◎宗教の世界で、パウロがこういった。「もはや我、生きるにあらず、キリスト、我が内にありて生きる」と、パウロとキリストとの関係をかくいう。パウロは肉体を持っているが、その肉体を動かす支配する主体は、パウロ自身ではなく、キリストだという。
[仏の家に投げ入れる]
◎仏教者道元は、それをこのようにいう。「ただわが身をも、心をも、はなち忘れて、ほとけの家に投げ入れて、仏のかたより行われて、これにしたがいもていく時、力も入れず、心をも費やさずして、生死をはなれて、仏となる」と。
[パウロとキリストの関係]
◎となれば、パウロとキリストの関係は、「私・生物・ユング荘子と、脳・体内遺伝子・行者・胡蝶の関係」と同じである。
[ロボットとプログラムの関係]
◎もっと現実の世界を見てみると、ロボットは、その体内に持つプログラムによって、行動が規定されている。これも、ロボットとプログラムの関係は、「パウロ・私・生物・ユング荘子と、キリスト・脳・体内遺伝子・行者・胡蝶の関係」と同じである。
[アメリカ映画界]
アメリカ映画界は、そのことを考えさせる映画をいくつも制作してきた。ターミネータなどもその一つだろう。ロビン・ウィリアムズの「アンドリューNDR114」はその典型例かもしれない。
[主体と客体の関係は曖昧]
◎このように考えてくると、主体と客体の関係は、実に曖昧である。本人は、自分こそが主体だと見なしていても、案外ひ弱な相手が支配者かもしれない。
[自走する脳の中に悪魔]
◎ところで、あなたは、あなたの自走する脳の中に悪魔を養い育ててはいませんか。その悪魔が夜中にあなたを突き破って町中を徘徊しているかもしれませんよ。