真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

「勤勉と道徳心はどこへ消えたのか」の問いかけに応じて

[勤勉と道徳心はどこへ消えたのか]
◎今日(2008/8/5)、「「勤勉」と「道徳心」はどこへ消えたのか」(by齋藤孝教授from日経BP社)を読んで、かなりの違和感を覚えた。その違和感はどこにあるのだろう、どこから来るのだろうと、考えてみた。
[猛烈な勤勉を支えた]
◎先ずは、そのコラム記事から一部引用。


世のため人のために真面目に努力する「道徳心」、働くこと自体を楽しいと感じる「美意識」、それに、廃墟と化したこの国を復興させたいという「愛国心」が相まって、猛烈な勤勉を支えていた
[道徳心の源泉]
◎これは事実だろうと、納得する。「道徳心」の源泉は、個よりも集団を優先させる東洋思想である。
[特性をバブル経済が破壊]
◎彼のその言葉の後には、「これらの特性をバブル経済が破壊した。時代の空気が勤勉さを放棄させた。失われた勤勉さや道徳心、美意識は、手つかずで放置されている」と彼は言う。
[経済低迷は道徳心と勤勉の欠落から来る]
◎「経済低迷の遠因は道徳心と勤勉の欠落」だと彼は言う。今日本での経済低迷は道徳心と勤勉の欠落から来るという。これにも納得できるものがある。
[取り返せる見込みは]
◎だが、果たして、「失われた勤勉さや道徳心、美意識」を取り返せる見込みはあるのだろうか。私はそれよりも更に先へと進む方がよいのではと思えるのだが。
[発展途上国の人々は明るい]
◎今の日本と違って、中国やインドなどの発展途上国の人々は明るい、活気がある。それは何故だろうか。日本の昭和時代と同じように、「明るい豊かな未来が待っている」との展望故ではないだろうか。豊かになりつつある実感ではないだろうか。
[日本の昭和時代もそうであった]
◎日本の昭和時代もそうであっただろうと思う。労働者は勤勉であった。仕事を楽しんだ。毎日の生活を楽しんだ。街は活気づいていた。人の心も躍っていた。
[結果得たものは何だったのか]
◎だけど、その結果得たものは何だったのだろうか。豊かな老後だろうか。豊かな社会だろうか。安全な街だろうか。心豊かな精神だろうか。不安のない生活だっただろうか。
[家庭崩壊]
◎明るい面がある一方で、家庭を顧みない主人によって、未亡人同然の家庭生活を強いられた妻。そのような犠牲を払いながら勤勉に働くことによって、会社のために懸命に働いた挙げ句の家庭崩壊。
[目の当たりに体験した子供たち]
◎それを目の当たりに体験した子供たち。一番の不良債権(大きなマイナスを背負う源泉)はこの子供たちの心である。その体験は彼らの心に「勤勉は悪」と刻印した。
[目標を失ってしまった日本]
バブル崩壊後、国全体としての目標を失ってしまった日本。以前には共有していた、廃墟と化したこの国を復興させたいという「愛国心」を、今また期待することは酷であろう。
[それらが実現されたか]
◎豊かな家庭を築くため、豊かな社会を築くため、豊かな生活を築くためと、懸命に働いた結果、見事にそれらが実現されていったのだろうか。
[見て育ってきた若者]
◎それらの現実を事実をつぶさに見て育ってきた若者に、「勤勉」を、「愛国心」を、「愛社精神」を求めるのは、余りにも酷ではないだろうか。
[張りぼての豊かさ]
◎期待された日本が実現したのならまだしも、豊かさはある程度得られたが、その豊かさでさえも、子供たちには支えきれないほどの借金を背負わせての豊かさであると知れた。真の豊かさではなく、張りぼての豊かさだと知れた。
[懸命に働いた労働者に報いたか]
◎さらには、懸命に働いた労働者の老後は安泰と安らぎが保証されているのだろうか。彼らがこつこつと貯めた年金資金は自分たちのために十分残されているのだろうか。国は日本再建のために懸命に働いた労働者に報いるに十分なことをしてきたのだろうか。
[数々の事実を踏まえ]
◎このような数々の事実を踏まえても、「勤勉」と「道徳心」を取り戻せと言われるのであろうか。仮に取り戻したとしたら、今度は彼らの未来には本当の豊かな社会が保証されているのだろうか。