真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

母の悲しみを再び感じる終戦記念日

[全国戦没者追悼式]
◎8/15日に東京日本武道館で、日本政府主催による無宗教の形で全国戦没者追悼式が開かれた。これは毎年開かれて今年で63回目となる。
[追悼の対象者310万人]
◎「追悼の対象は第二次世界大戦で戦死した旧大日本帝国軍人と軍属約230万人と、空襲や原子爆弾投下等で死亡した一般市民約80万人である」。 (fromWikipedia)
[追悼できる施設の設置を]
河野洋平衆院議長がその追悼の辞の中で、「政府が特定の宗教によらない、すべての人が追悼できる施設の設置について真剣に検討を進めることが強く求められている」と述べた。
参考資料→(私のブログ)「小泉前首相靖国神社参拝に思う」
参考資料→(私のブログ)「靖国神社参拝と年金」
[靖国神社は一般市民約80万人を門前払い]
◎全国戦没者追悼式が開かれるが、いつでも、誰でも、心の赴くままに、追悼の気持ちを捧げる場が欲しいという願いはある。靖国神社には、一般市民約80万人は門前払いで合祀する気はないだろう。
参考資料⇒「民間人の空襲補償を 20団体が全国組織:」=from"東京新聞(TOKYO Web)"
[靖国神社参拝]
靖国神社参拝の国会議員の方々は、全国戦没者追悼式典にも参列されておられるとは思いますが、戦争で苦労し、国のために働いた英霊(一般市民)にも心からの哀悼を期待します。
[アメリカの空爆]
◎個人的なことですが、私の家族は大阪府大阪市天王寺区に住んでいた頃、母はアメリカの空爆によって、自分の子供たち(私の兄弟)を亡くした。また、母の妹もなくした。もちろん、住む所も。
[悔やんだ、嘆き悲しんだ]
◎母は、自分のために、妹が亡くなったと激しく後悔した。悔やんだ、嘆き悲しんだ。本来自分が死ぬところを妹(母が産後の肥立ちが悪く妹さんはその日たまたま母の看病に来ていた)がかばってくれたために一命を取り留めたと確信していたので。
[アメリカへの恨みは聞いたことがない]
◎でも、あれほど強く嘆き悲しみながらも、母からアメリカへの恨みは聞いたことがなかった。とはいえ、私(昭和23年/1948年生まれ)がもの心ついた頃には、母からも日本からも戦争の傷跡はある程度癒えつつあったが。
[軍部が強引に戦争へと突っ走った]
◎母の認識では、戦争は軍部が強引に勝ち目もない戦争へと突っ走ったというものである。軍部への憎しみは言葉にこもっていた。ほとんどの日本人の認識がそうであるように感じる。
[軍隊や戦争に強いアレルギー]
◎だから日本人に、軍隊(自衛隊も含めて)や戦争に、いまだに強いアレルギー、トラウマがあるのも頷ける。それを理解できない政治家は国民の目を見ていない。何をするかでその人の目線が分かる。
[軍部への怒りとして]
◎だから、母は、この空爆や、子供たちの死亡や、家を焼かれたことは、すべて軍部への怒りとして現れていた。
[天皇への戦争責任]
◎また、疑問に思っていたのが、天皇への戦争責任を、母がどう感じていたかだった。ともかくも、母は天皇へ、天皇家天皇一族への尊敬や親しみを死ぬまで持ち続けた。
[天皇もある意味犠牲者]
◎これは母から直接聞いたわけではないが、天皇への尊敬や親しみが憎しみや怒りへと変わらなかったのは、天皇もある意味犠牲者であり、軍部の力に勝てずに引きずられてしまったからだとの認識であったようだ。
[彼らが受けた教育]
◎この認識もかなりのお年寄りが共通に抱いているように思える。いまだ、お年寄りから、天皇への怒りを聞いたことがない。まあ、実際に心の底にあったとしても、これは決して口に出せないだろうけれども。彼らが受けた教育を思えば。
[幼い頭にどのような思想が植え付けられる]
◎そういう意味では、幼い頭にどのような思想が植え付けられるかが日本やその子供たちの未来がある程度方向付けられるというのは恐ろしくもある。
[教育基本法の行方]
◎それを考えると、教育基本法の行方は常に見守っていかなければならない。教育基本法が未来の日本の方向を舵取るわけだから。
[終戦記念日は母の悲しみを感じる]
◎私にとって、終戦記念日は、母の悲しみを感じる、戦争のむごさを再確認する、「王」に自由に使われる「歩」の嘆きを感じる一日であった。