真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

本質とは何だろうか

[本質について]
◎今日(2008/11/28)は「本質」について書こうと決めた。それで、自分の過去すべてのブログ(389記事)内でこの言葉「本質」を使った記事数と題名を探してみた。
[知りたいと願っているテーマ]
◎私にとって、知りたいと願っている(哲学的)テーマなので、さぞかしたくさんの記事数が結果表示されると思ったが、意外や意外、何とたった五件であった。
[本質を見抜く]
◎その内の、「もやもやが晴れるのはどんな時?」で、「事件や出来事であれば、"本質を見抜く"、と表現されるべきものである。どう評価してよいか分からない、全貌の見えない、事件や出来事では、過去とのつながりや、未知の事柄との関連性など、をひとつにまとめてゆく過程で、"本質"がつかみ取られてゆく。それを的確に表現した言葉が、"本質"を捉えていると見なされる」と述べた。
[本質は普遍的で絶対的なもの]
◎「本質」を正面から考えた、「問題の本質を捉えるにはどうすればよいか」では、「時間的観点から見れば、本質は、時間が経過しても"変化しない"で、"普遍的"で"絶対的"なものである」とも述べた。
[本質は本来の性質や姿]
◎ところで、辞典(事典)などを見ると、"本質"とは、物事の"本来の性質や姿"である。それなしにはその物が"存在し得ない性質・要素"(中心核)である。と定義している。
[不可欠の性質・要素・姿]
◎つまり、事物にたまたま付帯する性格に対して、"本来"的で、存在に欠かせない(不可欠の)性質・要素・姿である。という辞典の定義を読んでも私には何のことかさっぱりつかみ取れない。
[くだものの芯]
◎無駄なもの、表面的なものをそぎ落として、なおかつ残っているものが、本質である。柿やリンゴやミカンなどの芯のようなものと、イメージ化すると理解しやすい。
[自分化する血肉化する]
「何故盗用・盗作が起こるのか」で、「自分で取材したのでない限り、他人の記事を読んで、それを借用する。それを如何に自分化するかである。自分化するには、それを理解して、血肉化する。生のまま吐き出すのはいけない」と述べた。
[時間と努力が求められる]
◎「自分化する」「血肉化する」とは、例え他人の文章であっても、それを要約(=エッセンスを絞り出すこと)し、本質を見出し、それを自分なりの言葉で表現することである。だから、そこまで行くには、時間と努力が求められる。
[種(骨)にまで達する切り込みを入れる]
◎皮を超え、肉を超え、種(骨)にまで達する切り込みを入れないと、本質は捉え切れない、見えて来ない。そのままを丸呑みするだけでは、盗用・盗作に過ぎない。そこまで行かなくとも、上辺をなでた浅い記事に過ぎない。
[光の存在に不可欠な三原色]
◎逆に言えば、何事にも、本来的で、存在に欠かせない性質・要素・中心核・芯があるともいえる。例えば、光には三原色(通常赤・緑・青)がある。つまり、あらゆる光の色は三つの原色の混合比として捉えられる。それらの存在に欠かせないのが三原色である。
[未来を照らす明かりとして使える]
◎私は、前回(のブログ記事で)、「前向き派」と「後ろ向き派」について書いた。情報などはたちまちの内に過去のものとなる。それを未来を照らす明かりとして使えるかどうかは、この「自分化」「血肉化」にかかっていると思う。
[病気の診断は本質を捉える]
◎この「自分化」「血肉化」あるいは「本質」については、「病気」と比較すると分かりやすいかもしれない。「病気」の診断は、「本質」を捉えることと似ている。
[現れるのは病状]
◎ほとんどの「病気」(根治療法でいう根っこ)は、表面には現れない。現れるのは、病状である。例えば、「38度の熱がある」とか、「背中に発疹がある」とか、「頭が割れるように痛い」などである。
[総合的判断で診断を下す]
◎表面に現れたいくつもの病状と、本人から聞き取った(問診した)病状と、検査によって現れた結果とを、総合的に判断して診断が下される。これは「本質」の捉え方と同じであろう。
[専門的知識と数多くの経験]
◎このような診断が下せるには、専門的知識と数多くの経験が必要であろう。もちろん、今では、ネットで、病状を打ち込むと、診断結果が打ち出される便利な時代にいるが。参考資料→「症状から病気をさがす」=From"goo ヘルスケア"
[宿命と運命の違い]
◎話題からはずれるが、江原氏(オーラの泉)が宿命と運命の違いをテレビで説明していた。「宿命」は材料で、「運命」は料理だと。
[取り替えがきかない宿命]
◎私たちの材料(宿命)は、生まれたときから与えられていて、取り替えがきかない。しかし、その材料からどんな料理(運命)を作るかは、私たちに任されている。というような内容だった。
[宿命は本質・普遍]
◎私のこれまでの説明からすると、材料(宿命)は本質・普遍に当たり、料理(運命)は表面に現れた病状・事件や出来事に該当しそうである。
[見抜く目から泰然自若・不動心]
◎私たちは、材料・宿命・本質・普遍を見抜く目を持っているならば、表面に現れた運命・病状・事件・出来事に一喜一憂してあたふたすることなく、泰然自若・不動心でいられる。
[実践する方法を編み出さねばならない]
◎表面に現れた出来事から、本質を見抜くことができるならば、それに対する的確な対応が打てるかもしれないからである。見抜くのは、理論を立てた段階であって、それを実践する方法を編み出さねばならないという大きな課題は残るが。
[前向き派と後ろ向き派]
◎これが生きることの難しさであり、かつまた面白さである。私たちが、そこに難しさを見るか、また面白さを見るか。そこら当たりから、「前向き派」と「後ろ向き派」とに分かれる原因があるのかもしれない。