真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

デフレのどこが悪いのだろうか

[日本は今デフレだ]
◎「日本は今デフレだ、このデフレを何とかしなければならない」ということをよく聞く。それに対して、何となくの違和感を覚えていた。
[インフレは良くない]
◎そこで、今日はそれについて考えてみたい。まず、「デフレ」の逆の「インフレ」は良くないという印象は私も持っていた。
[モノの値段が上がり続ける]
◎と言うことでまず、「インフレ」とは、「インフレーション」を略して呼ばれたものである。その意味は、「モノの値段が上がり続ける」ことである。消費者にとって、サラリーマンにとって喜べることでは決してない。
[モノの値段が下がり続ける]
◎それに対して、「デフレーション」を略した「デフレ」は、インフレとは反対に、「モノの値段が下がり続ける」ことだ。バブル崩壊後の日本の状況がそれにあたる。
[何故モノの値段が下がるのが良くないのか]
◎で、素朴な疑問として、「何故モノの値段が下がることが良くないんだろうか」と感じる。それについて調べてみた。
[デフレ・スパイラル]
◎「デフレ」そのものが悪いのではなく、「デフレ・スパイラル」に陥ることが悪いのだそうである。その意味は、「らせん状にデフレが進行していく」状態を言う。不景気になれば、人々の収入が減るから需要量も減少する。すると、物が売れ残るから、価格はどんどん下がっていく。
[すべてが縮小してゆく]
◎それを図式化する。景気が悪化(不景気)⇒商品の売れ行きが悪化(需要低下)⇒売れないので値下げ(物価下落=デフレ)⇒値下げした分企業収益悪化(減益)⇒給与削減(減収)⇒家計が苦しくなり商品の購入を控える⇒さらに景気が悪化⇒ますます商品の売れ行きが悪化(減収減益)⇒売れないのでさらに値下げ⇒値下げした分企業収益悪化⇒さらに給与削減(リストラ、工場閉鎖、人員削減)⇒ますます家計が苦しくなり商品の購入を控える。
[お金の価値が上がる]
◎これによって、ローンを抱えた人たちはデフレで損をするが、預金を持っている人たちはデフレで得をしている。というのは、もの(住宅とか貴金属)の価値が下がって、お金の価値が上がる。
[損をする人と得をする人]
◎ということで、ものを持っている人は損をし、お金を持っている人は得をする。必ず、損をする人がいる一方で、得をする人もいる。
[良いデフレ]
◎といっても、「良いデフレ」もある。需要と供給のうち供給側(売り手)の努力で物価が下がる場合である。企業の努力で生産費が低くなり、売り手が安く売れるようになり物価が下落する場合である。
[需要は増加し経済は活発]
◎この場合には、不景気で需要が減少したわけではないから、物価の下落によって人々はより多くのものを買うようになり、需要は増加し経済は活発になり景気は良くなっていく。今の日本はこういう状態ではない。
[私の感じた違和感は]
◎どうも、私の感じた違和感は、この「良いデフレもある」ということを知らなかったからである。このデフレは歓迎すべきものであろう。だのに、「悪いデフレ」ばかりが宣伝される。結果、「デフレ=悪」と感じさせられる。
[日本では悪いデフレ]
◎所が、日本では、「良いデフレ」も一部あるが、人件費と物価の安い海外への生産拠点の移動によって、給与削減(リストラ、工場閉鎖、人員削減)が生じるという、「悪いデフレ」の部分が大きい。
[下層階級が日本に急増]
◎この「リストラ、工場閉鎖、人員削減」によって、下層階級が日本に急激に増え、総中流階層と言われたこの層が激減した。
[精神的成長によるデフレ]
◎しかし、誰も言っていないようだが、私にはもう一つのデフレ、「精神的成長によるデフレ」もあるのではないかと思う。つまり、ものによって得られる喜びから、ものによらないで得られる喜びへと比重・優先順位が移り変わってきていることから来るデフレ。
参考資料→「市場半減!〜成熟社会化による “モノ消費”の崩壊 | 時評コラム」from"nikkei BPnet 〈日経BPネット〉"
[のんびり暮らしたい]
◎私の周りでも、「お金のため、ぜいたくな暮らしをするために、あくせく働きたくない」。「生きていけるそこそこの収入があれば、のんびり暮らしたい」。という若者や、中高年も多い。バブルの崩壊以降に、このような考え方の者が増えたのではないだろうかと感じる。
[のんびりと趣味を楽しむ]
◎彼らはそんなに収入がないし、そんなにものを欲しがらない。のんびりした自由な時間と、その時間にのんびりと趣味を楽しむ。しかも、その趣味にもそんなにお金をかけない。あるいは、オタク的に、一点豪華主義的なお金のかけ方をする。
[山里の雪間の草の春]
◎ここで、鎌倉時代初期の公卿、歌人藤原家隆」が詠った歌を紹介したい。「花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや」。
参考資料⇒「お金が人を幸福にしない理由:心理学実験から」=from"WIRED VISION"

お金は人が最高に贅沢な喜びを味わうことを可能にする(贅沢なホテルに泊まり、高級な寿司を食べ、素晴らしいガジェットを買える)が、それゆえに、日常のありふれた喜び(天気の良さや冷えたビール、チョコレートなど)を味わう能力を低下させる
[わびさびの春]
◎「花ばかりを待つ人に、山里の雪の間に芽を出した草の萌え出づる春をみせたいものだ」と、「華やかな桜の春しか知らない者に、わびさびの春をも知って欲しい」という気持ちである。
[浦のとまやの秋の夕暮]
◎さらに、同じ鎌倉時代初期の公家・歌人藤原定家」も、「見わたせば花も紅葉もなかりけり、浦のとまやの秋の夕暮」と詠んだ。
[後に訪れる心の豊かさ]
◎両人は、「花をのみ」、「花も紅葉も」を求める人に対して、「山里の雪間の草の春」、「浦のとまやの秋の夕暮」を賛美する。これは「花も紅葉も」知った上で、知った後に訪れる「心の豊かさ」である。
[なにやらゆかし菫草]
◎同様に、松尾芭蕉(江戸時代前期の俳諧師)が、「山路来てなにやらゆかし菫草」。「くたびれて宿かる頃や藤の花」。と詠んだ。
[上品で落ち着いた美しさ]
◎「山路来」る、「くたびれ」るという苦労の後で、一つ一つの花は余り目立たず、集まってこそ引き立つ花である「菫草」や「藤の花」に「ゆかし」(奥深さがあって心がひきつけられる上品で落ち着いた美しさ)を感じている。
[バブル期にはみんなが花も紅葉も求めた]
◎日本人も、バブル期には、みんなが我も我もと「花をのみ」、「花も紅葉も」を求める人であった。たから、今、「山里の雪間の草の春」、「浦のとまやの秋の夕暮」、「菫草」や「藤の花」に「ゆかし」を感じている人々が現れてきたのではないだろうか。
[人の欲求は階段を上る]
◎私は以前に、このブログで、「欲求階層説と個人と国家」を書いた。そこで、「人間の欲求は、低次の欲求から高次の欲求へと、段階的な階層構造を形成している」と述べた。人の欲求は階段を上るように、だんだんと高見へ昇っていくという。
月収7万円。自称・貧乏写真家。夢を追求するために、貧乏を選びとった著者による、究極のシンプルライフ考。不況だろうがなんだろうが、思うように生きていく知恵がここにある。