真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

言葉ってタグって何だろうか

[言葉知識]
◎「言葉知識」とは、体験という裏付けを持たない、言葉の置き換えによってなされる知識である。これはある意味、言葉の定義付けをしているに過ぎない。例えば、「犬」は、哺乳類で、四本足で、ワンと鳴く、家畜である、というような。
[タグやレッテル]
◎言葉は「タグ」であり、「レッテル」である。「伝達不可能なもの」でも、そこにタグを貼り付けると伝達可能とする。犬という「実物」に対する、その名称が「タグ」。
[言葉を置き換えただけ]
◎今、「犬」というような具体的なものを例に挙げたが、例えば、「失敗」というような抽象的な事柄でもタグ付けできる。「失敗」とは、「うまくいかなかったこと」であると言われても、意味不明である。これはただ言葉を置き換えただけであるから。
[伝達不可能なもの]
◎もちろん、それであっても、「伝達不可能なもの」自体は全く伝達できていないのだが。タグを見た人、聞いた人、読んだ人が、その「言葉から自分の中にある該当のものを思い浮かべる行為」が可能となる。
[該当するもの]
◎意味不明とは、タグを見聞きしても、そこから何も思い浮かべられないことである。自分の知識の中にそれに該当するものがないからである。
[何か伝えられるべきもの]
◎言葉とは、その背後に「何か伝えられるべきもの」を持つ。例え、それが別の言葉であったとしても。しかし、そこには自ずと違いが現れてくる。
[重い言葉]
◎「重い言葉」とは、その背後にたくさんの経験などの「伝えられるべきもの」を背負っていることを感じさせる言葉である。「重い言葉」を聞くと、ジンと来たり、ハッとしたり、素直になったり、喜んだりと、心や感情が揺さぶられる。
[軽い言葉]
◎逆に、「軽い言葉」とは、その背後にはほとんど経験が潜んでいなかったり、言葉知識だけであったりする場合である。それは新幹線の如く耳を素通りするだけである。
[行為の刷り込み]
◎例えば、母親が子どもに「片付けなさい」と言ったとする。この言葉によって、子どもが片付け始めるには、子どもの中に、すでに何回かの「片付ける」という行為が刷り込まれている必要がある。
[経験を思い出して]
◎子どもは過去の経験、例えば、母親と一緒に片付けた経験や保育所・幼稚園でみんなと一緒に片付けた経験を思い出して、それをなぞるようにして、片付け始める。
[行為が獲得されている]
◎別な例をあげると、父親が子どもに「勉強しなさい」と言ったとする。この言葉によって、子どもが勉強を始めるには、子どもの中に、すでに何回もの「"自分"で勉強する」という行為が獲得されている必要がある。
[自分一人で勉強する]
◎勉強の仕方ぐらい分かるだろうと思われるかも知れないが、子供たちは意外に、「自分一人で勉強する」という行為ができない。子供たちはほとんど常に集団の中で学んでいるのだから。
[手順が頭の中に入っている]
◎かなり詳細に勉強する手順が頭の中に入っていないと、行動には移せない。親から見れば、何故と思われるだろうが、子どもからすれば、「勉強する」というのはかなり難しい作業なのである。
参考資料→「【2】「自分で考えなさい」の後には念入りなフォローを」from"日経ビジネス Associe(アソシエ)"
[なるほどと思わせる体験]
◎「言葉に強くなる」ということは、できるだけたくさんの体験をすることである。言葉による説得を成功させるためには、最低限、自分の中に、相手をなるほどと思わせるだけの体験を忍ばせておかねばならない。
[軽い言葉は相手の左脳だけに働きかけ]
◎体験的裏付けのない言葉は軽いのだから。相手にずしりと重さを感じさせることはできない。というのは、軽い言葉は相手の左脳だけに働きかけるが、重い言葉は相手の左脳だけではなく、右脳にまで働きかけるからである。
[さまざまなものに反応する豊かさ]
◎話は飛ぶが、生まれたての赤ん坊たちには、できるだけ豊かな体験をさせてゆくことによって、先々でさまざまなものに反応する豊かさが培われる。
[体験が体験を招く]
◎つまり、体験が体験を招く。今している体験が過去の体験を呼び覚ます。それが興味としてそちらに目を注がせる。関心が呼び覚まされる。
[空疎な響き]
◎どれほど言葉を豊かに持ち合わせていても、体験が豊かでなければ、その語る言葉は空疎な響きでしかない。人を説得したり、納得させたりということが困難になる。
[理想主義に走る]
◎若者が理想主義に走るのも、若者が極端に走るのも、それは言葉で考えるからである。言葉だけで考え判断するからである。自分の体験をじっくり反省しながら、考えれば、出てこないだろうような理想がポンと出てしまう。
[言葉の影響力]
◎体験をどんどん積むことによって、言葉がどれほどの影響力を持つものかを知るようになる。子供たちが、いじめや差別や言葉の暴力に走る一因は、それによってどれだけの影響を与えるかを過去の経験から計ることが出来ないからである。
[コンプレックスとして重い体験]
◎例えば、ある事柄に関してつらい体験を積んだ者は、それがコンプレックスとして重い体験として心の中に存在する。そして、それに少しでも触れられると、強くずきんと心が痛む。
[自身には重く響かない]
◎しかし、それと同じコンプレックスを持たない者には、その言葉は自身には重く響かない。それが軽い気持ちで、それを発したり、からかったり、差別したりという言動になってしまう。
[たかが言葉、されど言葉]
◎たかが言葉であるが、されど言葉でもある。言葉と体験のどちらも大切に扱いたいものである。