真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

加えることは引くことである

[なぞなぞを解いてください]
◎私は、以前(2007/01/16)、このブログで「なぞなぞを解いてください」という記事を書いた。その時のなぞなぞは、「"親は子どもに対して責任がある"というのは、"親は子どもに対して責任がない"、というのと同じ意味である」というものであった。
[加えることは引くことである]
◎それに対する解説はそちらを参照していただくこととして、今日のなぞなぞは、「加えることは引くことである」、というものである。
[答えはウェブで検索を???]
◎早々に、それへの答えをいうと、それは、「検索」である。
[反対なのに同じとは]
◎その答えを解説する前に、前回のなぞなぞは、"責任がある"と、"責任がない"とが同じ意味だとしている。今回も、「加える」の反対語である「引く」が、「加える」ことと同じだとする。反対なのに、同じとはこれ如何に。
[キーワードを付け加えて再検索すると]
◎では、解説をすると、「検索」では、キーワードを打ち込んでクリックすると、結果ページに釣り上げられたページ(サイト)が表示される。それが余りにも多いときには、キーワードを付け加えて再検索すると、その表示件数は減る。
[原因が結果を生む]
◎故に、検索では、加えることは引くことである。つまり、検索語を付け加えると、表示件数が減る(引く)。「加える」という原因が、「引く」という結果を生む。
[料理]
◎「料理」においても、加えることが引くことであるという場合も生じる。例えば、醤油を入れればいれるほど、塩辛さは増す。
[他の味を打ち消す]
◎そんな場合には、砂糖やみりんなどを加えれば、醤油の味はどんどん薄くなる。調味料に関しては、加えれば他の味を打ち消し(まろやかにし)たり、豊かな味になる。
[塩辛さだけに着目]
◎ここでは、醤油の塩辛さ(?)だけに着目しているので、砂糖やみりんを加えることで、醤油味が消されてゆく。といっても、限度があるだろうけれども。
[でっかいピザ]
◎あるいは、他の例では、ここに「でっかいピザ」があるとする。独身男でも、一人で食べれば、食べきれないほどに有り余る大きさだと想像してください。
[食べる人を増やせば]
◎と言うことで、友達を呼ぶ。その友達は、また友達にも声をかけて、友達の輪によって総勢5人来たとすれば、その場合の一人ずつの取り分は大幅に減る。つまり、食べる人を増やせば、一人の取り分はそれだけ減る。
[単なるこじつけなのか]
◎これらの解説が単なるこじつけなのかどうか、私には判定できない。でも、私自身は間違った解説ではないと信じている。
[言葉だけの思考]
◎最初の「加えることは引くことである」という言葉だけの(思考)段階では、矛盾して意味(論理)が成り立たない。言葉だけの意味からは完全に矛盾している。
[個別の事例]
◎言葉だけを見る限り答えは出てこないが、個別の事例を挙げると、それが成り立つ場合がかなり存在する。
[現実場面では成り立つ]
◎例えば、「2+1=1」は、数学的には成り立たない。でも現実場面では成り立つことがたびたびある。
[そこからどこへも進めない]
◎何故なのだろうか。「加えることは引くことである」という「言葉だけ」の段階では、時間も空間も含まれていないからだといえる。そこからどこへも進めない。
[抽象の世界]
◎「何を」加えるのか、「何を」引くのかが明示されていない。それで、「加えることは引くことである」という「言葉だけ」から判断するとなれば、論理的に矛盾する。これは抽象の世界であるからだ。
[時間も空間も含ませる]
◎だから、成り立たないのだが、言葉に、「時間」も「空間」も含ませると、つまり、現実の中に置くと、矛盾は解けてゆく。もちろん、すべてではないが。
[変化を認める]
◎「時間」を含ませると言うことは、「変化」を認めることである。「空間」を含めるということは、主語も目的語も含めることである。「誰が」「何を」加えるのかを表示することである。
[土俵の違いに気がつかず]
◎人の話や議論を聞いていると、このようなすれ違い、土俵の違いに気がつかずに、相手が間違っているとして、互いを攻撃している場合が多々ある。
[別の事柄を頭に思い浮かべる]
◎一方が、「言葉だけ」の段階を問題としているのに対して、他方が、「時間」も「空間」も含む具体的個別問題を頭に思い浮かべている。
[禅問答]
◎禅問答などでも、どこに立って、言葉を発しているか、どこからその言葉を見ているか、などを問いかけ、その立場を崩そうと、禅師が発している場合が多い。
[背景をも含めた理解]
◎言葉をその言葉の意味だけから、解釈しようとすれば、それを発した人の意思からは大きく外れてしまうことになりかねない。その背景をも含めた理解が相互になければ、ズレが生じてもズレが生じているということすら分からない。