真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

二つの宗教、依存対象の宗教と自立手段の宗教

[学生は社会人として巣立つ]
◎大学は、1年生として入学して、4年間を過ぎれば、学生は社会人として巣立ってゆく。その間に、学生は社会人としてのさまざまな知識や能力を磨く。
[学びの場]
◎私は、「学びの場」は、学習者が、自律できる方向へと導いてゆくことを旨とすべきだと考える。私自身は、社会人とは、かなり自律している人というように解釈している。
[本物のカウンセリング]
◎「カウンセリング」であっても、悩める相談者が来れば、その相談内容を解決してあげるのではなく、ともに悩みに寄り添ってゆきながら、相談者自らが解決できるように援助してゆく。それが本物のカウンセリングである。
[依存から自律へと高めるのが学びの場]
◎つまり、人を依存から自律へと高めることが、学びの場の仕事である、最大の仕事内容である。
[教え手の最大の課題]
◎学び手自身が、ある能力を求めて来たとしても、ある問題を抱えて来ても、「学びの場」では、教え手自らが与えるのではなく、依存から自律へと導くことが最大の課題である。もちろん何も教えないということではないが。
[体験しながら学ぶ]
◎日本の教育は、大学でさえも、教えることが中心になりすぎて、学び手が、主体的に、能動的に、体験しながら学ぶという姿勢が育ってゆかない。
[教育の荒廃]
◎これが教育の荒廃につながっている可能性が高い。また、日本が先頭を走る先進国からどんどん脱落している原因ではないだろうか。
[家庭も学びの場]
◎同様に、家庭も学びの場所である。生まれた者が最初に受ける学びの場である。親は、自分が「育」てるという部分と、「教」えるという部分の役割を引き受けているという自覚を持って欲しいものである。
[子育ての大きな課題]
◎だから、最初から、子どもを依存から自律へと高めることを大きな課題、目的として子育てをする必要がある。
[子どもの自律を押さえ込む]
◎だが、私を含め、日本の世の親たちは子どもの自律を強く押し進めない。逆に、無意識的に、子どもの自律を押さえ込む方向で動いている場合も多い。
[反抗期は自律の叫び]
◎例えば、子どもの反抗期は、自律の叫びである。自律へ向かう雄叫びである。だが、多くの親は、それを自律への前触れとして見る余裕がない。それに負ければ、子どもは自分の言うことを聞かなくなるという不安が勝ってそれを押さえつけてしまいがちである。
[巣から追い払う]
◎キタキツネは、子どもが巣立ちの時期になると、子どもにかみついて、巣から追い払う。強制的に、自律を遂げさせる。
[ホルモンがそうさせる]
◎もちろん、母狐は、知的に子どもの巣立ちを意識しているわけではなく、次の出産を可能にするために、ホルモンがそうさせるようであるが。
[宗教も学びの場]
◎ここからが本題なのだが、私は、宗教も学びの場であると考える。だから、たとえ、宗教であっても、信者をいつまでも抱え込むのではなく、依存から自律へと高める導きをして欲しいものである。
[信者は収入源]
◎もちろん、宗教団体にとって、信者は、収入源である。だから、いつまでも、抱え込んでおきたいのは分かる。でもそれでは学びの場としての役割放棄であろう。
[信者のためを考える]
◎であるから、信者のためを考えるならば、日本のことを考えるならば、宗教を学びの場としてほしい。
[禅宗]
◎そういう点で、素晴らしいと思う宗教が、禅宗である。禅宗では、ほとんどの修行者はそこ(禅寺)を仮の宿として、修行し、またどこかへ旅立つ。
[地域の人々や修行者を導く]
◎できるならば、彼らは、日本全国に数多くある廃寺を建て直して、そこで、自らが導師として、地域の人々や修行者を導いて欲しいものだと願う。
[欲求階層説]
◎話は変わるが、私は以前(2007/05/09)、「欲求階層説と個人と国家」という記事を書いた。そこで、アメリカの心理学者、マズローが唱えた"欲求階層説"という理論を紹介した。その欲求階層は余りにも有名であるが、改めて示す。
第1段階: 生理的欲求/食欲、睡眠欲、性欲など生物的に生きるために必要な欲求。
第2段階: 安全安定の欲求/衣服、住居、カネなど、将来を含めて危険から守られることへの欲求。
第3段階: 所属愛情欲求/社会的欲求/集団に所属したり、家族や他人から愛されることへの欲求。
第4段階: 自我尊厳の欲求/他人から承認され、尊重されることへの欲求。
第5段階: 自己実現の欲求/自分ならではの素質・能力を発揮して自己を成長・発展させることへの欲求。
[依存から自律へ欲求が向かう]
◎これを簡単に言えば、依存(第1段階⇒第2段階⇒第3段階)から自律(第4段階⇒第5段階)へと欲求が向かっていく、上昇してゆく、階段を昇るが如くに。しかも、身体的欲求から、心理的精神的欲求へと上昇する。
[身体的欲求から心理的精神的欲求へ]
◎上に立って導く立場であるならば、学び手が、このように、身体的欲求から、心理的精神的欲求へと切り上がり、依存から自律へと向かうことを知っていてほしい。
[自己の成長発展への欲求]
◎そして、自我尊厳の欲求を満足させて、次の自分ならではの素質・能力を発揮して自己を成長・発展させることへの欲求をかなえる方向へと向けさせるべきであろう。
[自律なしでは花開かない]
◎この最後の欲求は、学びを受けることではなく、自ら学び自ら能力を発揮し、自己を成長発展させるという欲求である。これは自律を勝ち取っていなければ、花開かない欲求段階である。
[宗教は本物の学びの場でない]
◎だから、私の考えからすれば、ほとんどの宗教は本物の、真の学びの場にはなっていないといえるのではないか。
[信者を神や仏から追い払う]
◎私から言えば、宗教は、神や仏にすがり来る信者を、神や仏から追い払うように、し向けるのが、最大の功徳ではないかと思えるのだが。キリストの神が、アダムとイブにしたように。