真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

空白・欠如・無の恐怖

[花嫁の父症候群]
◎以前(2007/05/20)「花嫁の父症候群」を書いた。

"空の巣症候群"がある。これは主に母親がかかる神経症である。それは、子育てからの開放による心理的な変化である。それは、花嫁の父が感じるのと同じ、子どもが成長し巣立ってしまって、巣(家)が空っぽになってしまったことへの寂しさである。"旅立った子供たちの親症候群"である。
[花嫁の父症候群が再発]
◎またまた最近私にこの「花嫁の父症候群」が再発し始めた。「空っぽになってしまったことへの寂しさ」がぶり返してきた。
[サザンオールスターズTSUNAMI]
◎私の心の中で、「サザンオールスターズ」の「TSUNAMI」の歌とメモディーが聞こえている。特に、「津波のような侘しさに」という言葉が心にずっしりと応える。
参考資料→「つなみ」
[空白の恐怖]
◎私は、さらにそれより以前(2006/10/10)、このブログで「空白の恐怖」という記事を書いた。
空白(無)の埋め方は人さまざまである。ある人はたばこを吸う。ある人はパチンコ店へ向かう。ある人はメールを打つ。ある人はケータイでおしゃべりする、"今何してんの?"。ある人はゲームのスイッチを入れる。
それらがひどくなれば、心理学的には、"依存症"という病名がつく。パチンコやアルコールへの依存症であれば、家庭崩壊にもつながりかねない。主婦の中には、買い物依存症で、借金をふくらませる事態にもなりえる。
失恋をしたことのある人ならば、そのぽっかり空いた穴を埋めるのがどれだけ苦しいかご存じだろう。少しでも時間的空白があくと、そこに過去の思い出が洪水のように溢れてくる。それを思い出すたびに、涙がぼたぼたと、ほとばしり出てくる。
失恋でなくても、病気や事故で親や子どもを失うと、心の虚ろは、拷問の如く激痛、激苦の連続である。主婦に襲いかかる、"空の巣症候群"、"キッチンドリンカー"などは、夫や子どもの、自分からの離反に耐えきれず、心に巣くう病である。
[空白の恐怖から無の恐怖へ]
◎また、その「空白の恐怖」より少し後(2006/12/07)で「空白の恐怖から無の恐怖へ」(2006/12/07)という記事も書いた。
それ(空白)に対して、"無"は色でいえば"黒"である。暗闇。真っ暗闇。それに引き替え、空白には、とにかく場所が確保されている。しかし、無は場所すらあるのかないのか分からない。何も見えない無の暗闇である。
自我が消え去る、無になる、死ぬ前に飛び越えなければならないハードルが待ち構えている。激しい恐怖、無の深淵が大きな口を開けて待ち構えている。冒険物語では、それを危険な旅、危険と恐怖が待ち受ける冒険として表現される。
[方向高度が識別不能]
◎「無」「真っ暗闇」とはなんだろうか。「ホワイトアウト」という言葉がある。(fromWikipedia)
雪や雲などによって視界が白一色となり、方向・高度が識別不能となる現象
[ブラックアウト]
◎また、色的には真逆の「ブラックアウト」(fromWikipedia)という言葉もある。なお、深酒により記憶を喪失することを「アルコール・ブラックアウト」という。停電という意味もある。
心臓より上にある脳に血液が供給できなくなり、完全に視野を失う症状
[ジャック・ラカン]
◎なぜ、「空白」や「無」があるのだろうか。フランスの精神科医、哲学者、精神分析「ジャック・ラカン」がこう言った。
欠如が生まれて初めて、乳児は母を求めるなり、乳を求めるなり、「マー」などと叫びをあげる。
[祭りの後の虚脱感]
◎満たされていた状態(満腹)が先にあって、その後に欠如(空腹)が生まれる。そこで、それを求める存在になった。私たちは求める存在である。それを「花嫁の父症候群」で私は次のように述べた。
恋人がいる間や、できる前では一人をそんなにつらいとは全く感じなかったというのに。元々ないものは何とも感じないが、あったものがなくなるつらさは大きなものである。しかし、無情は世の常である。宴の後、祭りの後の虚脱感。とはいえ、一時の幸福を味わわせてくれた子供たちに感謝。
[ホテル家族]
◎家族精神医学者の「小此木啓吾」氏が、家族の心的問題に「ホテル家族」という用語を与えた。「ホテル家族」とは
みんながそれぞれにお客のつもりで、サービスされることだけを求め、他人のために汗を流そうとしない家族

参考資料→「家族」(fromWikipedia)
[家族全員が求める存在]
◎家族全員が欠如感から求める存在になった。他人のために汗を流そうとしない存在になった。親ですら求めることしかしない「ホテル家族」が増えている。
[心からの感謝]
◎しかし、求めることをやめると、期待することをやめると、他人からのどんなにささやかであっても好意に対して心からの「感謝」で返せる。すべてを「お陰様です」といえる。
[ゆとりを持って受け入れ]
◎私は、「空白の恐怖」という記事の中で次のように書いた。自分への言い聞かせとして捧げたい。
親であれば、できれば、自分の空白(心の空腹)を満たしたいという衝動に負けずに、ゆとりを持って受け入れられることを願っています。襲い来る、空白の悪魔に、じっと堪えていると、やがて悪魔の姿はうっすらとかすんできます。
[あの時の悪魔が近づいてきた]
◎あの時の悪魔の姿はうっすらとかすんできたのに、またまた夜の闇から、あの時の悪魔が近づいてきた。今回もじっと堪えてしのげるのだろうか。