真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

国母問題における個人と集団での優先順位の付け方

[国母の言動に抗議]
バンクーバー五輪の話題で、テレビや報道は連日賑わっている。その中で、とても気になった話題があった。それは「スノボ国母の言動に抗議電話殺到!JOCと母校・東海大に650件 大学は異例の声明」=from"スポーツ報知"である。そこから抜粋引用。

「スポーツマンらしくしてほしい」「国民の代表としてあり得ない」など厳しいものが多く、国母の服装やスタイルに理解を示す内容は少ない」
[違和感を感じた]
◎私は、テレビや新聞などのニュースで、「国母の言動に抗議」が報じられているのを、見聞して、違和感をすごく感じた。
参考資料→(私のブログ)「スポーツの娯楽性とスポーツ性」
参考資料→(私のブログ)「思考回路の国際化が必要な時期」
参考資料→(私のブログ)「みこしと亀田選手」
参考資料→(私のブログ)「「国母騒動はイジメ」ホリエモンが服装原理主義批判」=from" J-CASTニュース"
参考資料→「東京新聞:国母選手の服装問題、各国メディア賛否」=from"(TOKYO Web)"
参考資料→「国母、出場…鼻ピアス外して謝罪会見」=from"デイリースポーツonline"
参考資料→「スノボ国母、政界巻き込む 米で「トップニュース」にも」=from"J-CASTニュース"
参考資料→「五輪選手を甘やかす 日本メディアの罪と罰」=from"J-CASTテレビウォッチ"
参考資料→「茶髪、ピアスなど禁止令 日本水連決定に異論相次ぐ」=from"J-CASTニュース"
[スポーツマンらしくに違和感]
◎私には、「何故彼の言動がいけないんだろう?」という疑問が生じている。「スポーツマンらしく」「国民の代表として」ということばの方にこそ違和感を覚える。
[集団よりも個人に重きを置きたい]
◎私は、どちらかといえば、集団よりも個人に重きを置きたい性格である。選手一人一人に「国民の代表」という集団面よりも彼らはそれぞれ「一個人」という面を感じたい方である。もちろん、バランスの問題であるが。
[個人種目に面白みを感じる]
◎私はそういう性格だからだろうか、野球やサッカーには余り面白みを感じない。それよりも、相撲や柔道や砲丸投げなどの個人種目に関心が向く。
[素早く勝負が付く方が好き]
◎私は、素早く勝負が付く方が好きである。野球で、2時間も熱中するなんであり得ない。私は、20分から40分辺りが限界である。それ以上長いと、あくびが出て来る。
[イチローの個人記録に興味]
◎それで、私は、野球においても、「イチロー」の個人記録などには興味を感じても、野球の試合の勝ち負けには全く興味が向かない。
[1時間も興味が続かない]
◎相撲も5時半頃から座ってテレビを見る方である。1時間も興味が続かない。最近、その相撲を面白くしてきた朝青龍が引退した。
[朝青龍は嫌い]
◎私はどちらかといえば、朝青龍は嫌いであった。でも、彼の奔放な生き方には好感の持てる部分もあった。プロレスはたいていの場合、善玉と悪玉に別れて試合をする。
[善玉と悪玉に別れてもいいのでは]
◎相撲界でも、善玉と悪玉に別れてもいいのではないかと感じていた。そして、朝青龍は悪玉としてふさわしい力士であった。そういう面では尊敬すらしている。
[暴行事件が本当ならば]
◎だがしかし、彼の引退は、噂された暴行事件が本当ならば、それも致し方ないのではと感じる。報道などを見ると、彼のそれへの対処の仕方にも相当問題があったようだ。
参考資料→「「マネ辞任幕引き」「解雇で訴訟」朝青龍事件乱れ飛ぶ怪情報」=from" J-CASTニュース"
[横綱の品格]
◎彼に対しては、常々「横綱の品格」ということが言われた。また、日本の伝統を汚すとも言われた。だが、もはや上位には日本人よりも外国人が多いという現実をどう解釈するのだろうかとも感じる。
[日本の伝統と呼ぶのか]
◎これをもってしても、日本の伝統と呼ぶのだろうか。私は、外国人力士が優勝すれば、優勝者の所属する国歌を流すくらいの品格を持ってもいいのではないかとさえ思う。
[盛り上がりは外国人力士のおかげ]
◎そうなれば、相撲界では、日本の国歌が流れる機会がほとんどなくなってしまうかも知れないが。相撲世界が盛り上がるのは、外国人力士のおかげであるという事実を忘れるべきではない。
[相撲は存続し得ない]
◎もはや外国人力士の存在がなければ、相撲は存続し得ないというところにまで来ている現実を見るべきである。だから、外国人力士に一方的に日本のしきたりや伝統を押しつけるべきではもはやないだろう。
[日本人力士を鍛え上げるべき]
◎もしそれを期待するならば、外国人に頼るのではなく、もっともっと日本人は伝統保持のために日本人力士を鍛え上げるべきではないのか。それをしないで、伝統だけ叫ぶのは筋違いではないか。
[押しつけはおかしい]
◎先ほどのスノボの国母選手の件に戻るが、スノボは外国発祥のスポーツである。日本人が日本流の「スポーツマンらしさ」をスノボの国母選手に押しつけるのは、おかしいのではないか。
[望むのは自由]
◎もちろん、それを望むのは自由であるが。「何を望むのか」という内心の自由と、何をするかの行動の自由とは別物である。「スポーツマンらしさ」を望むのは自由であるが、それを強制して行動させる自由まではない。
[自由な時間まで縛れない]
◎彼らは芸能人などのスターではないので、自由な時間までがちがちに強制するのは間違いだろう。国民の税金を使っているとはいえ、自由な時間まで縛れないはずだ。
[日本人は寛容度が低い]
◎そういう点では、日本人は寛容度が低いのではないかと感じる。選手たちに「国民の代表」という面を強く要求するのではなく、「個人が試合を楽しんで出場する」という雰囲気を作り上げる方が彼らの実力発揮にとってもふさわしいのではないか。