真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

どの階層に立って眺め行動するのか

[自分という意識範囲]
◎「自分」とか「他人」(自分以外)とかいうことに関して、「自分という意識範囲」は時々において変化する。それについて、「精神分析学」(fromWikipedia)には、「自我関与」(ある対象や事態について、「自分の身内」「自分の領分」であるとして自分自身とかかわりのあるものとみなす態度)とか「自我境界」(個々の体験のなかで自己の内と外を識別する境界線)という用語がある。
[自分が所属する所属範囲]
◎「自分という意識範囲」は、「自我境界」、「自我関与」、「自分の身内」、「自分の領分」、「自分が所属する所属範囲」などなどと言い換えられるだろう。
[身体的自分が最小範囲]
◎その中核である身体的「自分」が「最小範囲」(基礎単位)である。それより広がると、「家族」となる。家族より広がると、「親戚縁者、師弟関係、ご近所」などであろうか。これは時代により、国によって異なろう。
[それより大きな範囲]
◎そこで、日本で考えれば、それより大きな範囲は、「市町村」であろう。さらにその上には「都道府県」が来る。もっと上には、近畿地方四国地方などの「地方」であろう。
[独立した核]
◎今、「都道府県」より大きな範囲として、「道州」がいわれている。特に大阪府橋下知事は、地方分権の受け皿として、「都道府県」よりも大きな単位を創り出そうと言動している。「都道府県」は独立した核にするには小さすぎるからだろう。
[さらにその上]
◎話を戻して、さらにその上は、「国」であろう。これより上は、「広域地方」、例えば、アジアとかオセアニアとか。それを超えると社会学的には「世界」、地質学的には「地球」であろう。
[それを超えると]
◎さらにそれを超えると、「太陽系」。それをも超えてしまうと、「銀河系」。でもここまで来れば、現時代では、単なるイメージだけとなってしまいそうである。
[同心円がどんどん膨らんでいく]
◎このように、自分を中心に据えて、家族、地域などの同心円がどんどん膨らんでいく。私は、その同心円は階層構造だと見ている。あるいは入れ子構造だともいえる。
[個人と集団での優先順位の付け方]
◎どんどん話を進めていったが、実はこれを書こうとした直接の原因・理由は、前回このブログで取り上げた「国母問題」からである。そのブログの題名は「国母問題における個人と集団での優先順位の付け方」である。
参考資料→「がんばれ、国母選手 〜選手を叩くだけで終わらせないために」=from"キャリワカ:ライフデザイン | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉"
[上へ行くほど広がる階層構造]
◎このような題、「個人と集団での優先順位の付け方」から、おわかりいただけるかも知れないが、私は意識範囲は上へ行くほど広がる階層構造を成していると見る。
[釈迦の悟り]
◎最下層が個人(自分)で、最上層が宇宙全体である。尚余談だが、「釈迦の悟り」の内容は、この宇宙全体を瞑想力によって視野に入って、そこからすべての現象を眺めた結果出てきた「縁起」(fromWikipedia)である。
[空間と時間を超越]
◎さらにいえば、釈迦は、過去から未来の全時間をも俯瞰できたという。つまり、空間と時間を超越して、最上階層(物質階層に必要な空間・時間を超越した完全精神世界)から眺めることができたと。
[オリンピック競技]
◎またまた話を戻すが、「国母選手」にとっては、オリンピック競技は、国のためではなく自分のために行うのである。日の丸の旗が揚がったではなく、自分が勝利したである。自分を強く意識しているのではないか。
[朝青龍]
◎同じように、問題を多く作り出してきた「朝青龍」についても、彼は常に自分を強く意識して、自分のために行動している。それが集団を優先する視点からはとても不愉快に映る。
[集団優先か個人優先か]
◎つまり、上に上げた国母や朝青龍などにおいて問題だと見るのは、集団優先という意識が強いからであり、個人優先の意識からは問題だとは感じないことも多い。
[程度問題]
◎もちろん、集団で作り上げた法律に違反すれば話は別であるが。これでおわかりいただけるだろうが、「個人優先」といっても、程度問題である、矛盾的自己同一である。
[伝統世界は個人を殺す]
◎しかし、特に伝統世界では、個人を殺すことを強く求める。歌舞伎など極端に伝統を重んじる世界では、個人を殺すことを強く求めるから、それのガス抜きとして、気持ちの赴くままが許される色恋は芸の肥やしとして黙認する、あるいは奨励する。
[さらなる上の意識が浮上]
◎話はひゅーんと飛んで、江戸時代日本では、黒船以前は、藩を最高の所属集団としてきた。黒船の来訪によって、藩というレベルではまったく太刀打ちできない事態が勃発して、日本国というさらなる上の意識が強く浮上してきた。尚余談だが、鈴木大拙は、これを「霊性」と呼ぶ。
[藩という範囲を超えた思想]
◎だから、藩という範囲を離れた、超えた思想、志向が日本を覆うようになった。そのような藩に縛られないで思考できる層は、「浪人とか下級武士」であった。
参考資料→(私のブログ)「全国統一の呪縛はいつまで続く」
参考資料→(私のブログ)「江戸幕府が滅んだわけ」
参考資料→(私のブログ)「抵抗勢力とは何者なのか」
参考資料→(私のブログ)「織田信長と豊臣秀吉と徳川家康とは誰なのか」
[新しい発想は周辺から]
◎ゆえに、組織に縛られないで、新しい発想ができるためには、その組織に縛られていては困難である。新しい発想は、中心からではなく、周辺からもたらされる。
[自民党が再生できないのは]
◎下野した自民党が再生できないのは、谷垣総裁が生まれたことからも明かだろう。古い自民党勢力が以前として中心に座って、新しい発想をしようとしている。これでは無理である。
[自民党潰しにふさわしい人物]
◎同じことが民主党にもいえるかも知れない。小沢幹事長は、どう考えても、自民党的体質、自民党的思考方法を持ちすぎている。もちろん、それだから、自民党を潰すのにふさわしい人物だともいえるのだが。
[民主党を育て上げるには不適当]
◎しかし、それは逆から見れば、新しい民主党を育て上げるには不適当な人物であるということになる。自民党と同じでは意味がない。
[小沢氏は身を引くべき]
自民党が下野し、民主党が与党になった今となっては、小沢氏は身を引くべきである、民主党を真に思うならば。そういう意味では、織田信長は本当に日本にとって良いときに亡くなったと感じる。