真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

車に大阪で廃棄するといったら車は自殺した

「引越しの準備でバタバタ」
◎私の息子は、鳥取の大学にいる。厳密にいえば、もう大学を卒業して、4月半ばから、東京で就職することとなった。で、息子は今引越しなどの準備でバタバタしている。
「乘り馴れた車を廃棄処分」
◎私(家族)は大阪で暮らしているので、数日間大阪に立ち寄って、ここで長年乘り馴れた車を廃棄処分することに決めていた。
「車は見事壊れた」
◎そのように決定して、私たちにも連絡してから数日後に、車は見事壊れてしまった。動かなくなってしまった。
「決めた途端に故障する」
◎それで仕方なく、大阪ではなく鳥取で廃棄処分することとなった。自動車ディーラーに持ち込むと、「こんなことはよくあるんですよ。廃車にすると決めたり、車検すると決めた途端に故障することが」、と言われたという。
「馴染みの土地で死にたい」
◎それを聞いて、それはあたかも、車が、「どうせ死ぬなら、馴染みの土地で死にたい」、と言っているかのように、私には感じられた。
「科学的根拠はない」
◎もちろん、そこには何ら科学的根拠はない。「これは単なる偶然だ」と反論されれば、返す言葉は全くない。車に心はないといわれれば、反証は不可能である。
「心や意志が物事に影響を与える」
◎だがしかし、私は、「心や意志が物事に影響を与える」、と信じている。もちろん、それにもなんら根拠はない。いわば、単なる信仰である。
「人生の転機にパソコンが壊れた」
◎私も、人生の転機に、パソコンが壊れた経験を持っている。あたかも、今のこのことを切り上げて、別なことに乗り換えなさいと。たぶん、これも思い込みなのだろう。
「心が関わる問題」
◎しかし、心が関わる問題に、科学的物理的な根拠はないとしても、数多くの事例を積み上げることによって、法則化できるのではないかと考える。
「心理学」
◎「心と呼ばれるものの様々な働きである心的過程と、それに基づく行動を探求する学問」(fromWikipedia)である心理学は、科学的根拠を示すことはできないが、数多くの事例を集めることによって、法則化している分野でもある。もちろん、心理学も領域が広く、科学指向を強く打ち出している領域もあるが。
「文系的な学問分野」
社会学や経済学などの文系的な学問分野では、観察データから、法則を導き出すという方法を採用している分野も多い。もちろん、科学分野においても、観察データのみで結論を導くことも多々ある。
「観察データへの厳密度」
◎科学分野と文系的な学問分野とでは、観察データへの厳密度に関して、やはり大きな開きがあるように感じられる。
「独自性が尊重され高く評価」
◎文系的学問分野は、観察データから独自理論を導きだすことに力点が置かれることも多い。さらには、その独自性が尊重され高く評価されることもまた多いように思える。ここが、独自性の文系と個性を排する理系の差であろうか。
「心理学的には効き目がある」
◎民間療法(?)的な「痛いの痛いの、飛んでけ」というおまじないが、小さな子供のケガに対して、実践されてきた。これは心理学的には効き目があることがわかっている。
「科学的根拠を手に入れた」
◎また、ごく最近、それに対する科学的根拠を手に入れた。参考資料⇒「「痛いの痛いの飛んでけ〜」とさすると本当に痛みが飛んでいく件、神経修復の観点で実証:Garbagenews.com」
「末梢神経の回復再生を促進」
◎「傷を負った患部を「さする」行為が、末梢神経の回復・再生を促進させる効果がある可能性を示唆」した観察結果(科学的根拠)が公表されている。
「経験的事実」
◎このように、経験的事実が先にあって、それを科学が後追い的に実証したり、反証したりすることも多い。だから、あまり科学的実証があるなしだけで、事柄の真実を判定すべきではないのではないか。
「哲学が幅をきかせた」
◎科学がまだ全然発達していないときには、哲学が幅をきかせていた。というよりも、哲学しか方法がなかったとも言える。あらゆる学問は哲学から枝分かれして生まれ出てきた。
「自身はやせ細ってしまった哲学」
◎あまりにも多くを生み出した結果、自身はやせ細ってしまった哲学は、「問題の発見や明確化、諸概念の明晰化、命題の関係の整理といった、概念的思考を通じて多様な主題について検討し研究する、学問」(fromWikipedia)である。
「思考を通じて検討研究」
◎要するに、哲学は、「概念的思考を通じて検討研究する」が、それに対して、科学は実証(実験データ)に基づいて法則化する。だから、科学が未熟な間は哲学が先行するのは仕方がない。
「観察や実例や資料を積み上げて法則」
◎私は、そのような事実を踏まえて、科学が反証できない内は、哲学的論理を通じて法則化したり、観察や実例や資料を積み上げて法則すべきではないかと思う。
「可能性があるを認める」
◎例えば、先程の「痛いの痛いの、飛んでけ」で、実際に痛みが消えたり、軽減される実例を集めて、「痛いの痛いの、飛んでけ」のおまじないを唱えると、実際に痛みが消えたり、軽減される可能性があると認める。
「法則を提示」
◎そこで、最初の話に戻るのであるが、「廃車にすると決めたり、車検すると決めた途端に故障する」可能性があるという法則を提示する。
「事例の報告を集めたサイトを誰か立ち上げて」
◎そのような法則を提示して、それをネットで事例の報告を呼びかける。といって、私にはやる意志はないが。それらを集めるサイトを誰がか立ち上げてくれるとうれしい。というのが、私の希望である。他力願望の私である。