真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

生まれたての赤ん坊がすべての者の大先輩

公案もどき」
◎今日は、「生まれたての赤ん坊がすべての者の大先輩」という表現(表題)を掲げた。これは公案もどきとも言えようか。
「自分は全体の一部、全体は自分の一部」
公案といえは、以前(2009/08/26)「「自分は全体の一部、全体は自分の一部」を解いて下さい」という記事を書いた。あらためて、自分のブログ記事を読んでみた。
「説明し切っていない」
◎感想としては、「余り明快に説明し切ってはいないな」である。たぶん、読まれた方々も納得できずに消化不良で読み終えられたことだろうとお察し申し上げる。
公案とは」
◎はてさて、今日の公案もどきは、うまく断ち切れた解説になりましょうか。まずは、公案についての説明から入る。
「自己矛盾的文体」
◎「自己矛盾的文体を為しており、そのまま意味を理解しようとしても論理的に破綻する場合が多い。公案の答えは常識的な思考の届かないところにあり、自己を消し去ることで矛盾を解消したり、矛盾を止揚して高次の段階で統一したものである」「禅」=from"Wikipedia"
「自己を消し去ることで矛盾解消」
◎「自己を消し去ることで矛盾を解消」であるが、「自分は全体の一部、全体は自分の一部」で、自分を消し去れば、自分という視点を取り去れば、「全体」とか「一部(部分)」とかの区別もなくなる。
「自己矛盾的」
◎あらためて、「生まれたての赤ん坊がすべての者の大先輩」中の「生まれたての赤ん坊」と「大先輩」とは、自己矛盾的である。
「生まれたての赤ん坊と先輩は矛盾」
◎「先輩」とは、「年齢的に経験的に上位にある者」ヘの敬称である。故に、「生まれたての赤ん坊」=「大先輩」は矛盾する。
「年長者の方が先輩」
◎年齢的に経験的に上位にある者は、常識的には、知識をたくさん持ち、多くの経験を積んでいる。そういう面では、年長者の方が先輩と言えるだろう。
「知識や経験は過去のもの」
◎だが、その者たちが持つ「知識や経験」はすべて「過去」のものである。つまり、「過去に関しては年長者が先輩」である。
「望遠鏡を逆のぞき」
◎とすれば、逆方向の未来についてはどうだろう。過去に手に入れた知識や経験が多ければ多いほど、「それにとらわれて」素直には未来を見ることはできない。望遠鏡を逆からのぞくようなものであろう。
「高齢の政治家」
◎私たちは身近にそれを実体験できる良い例を数多く有している。「日本の高齢の政治家」を思い浮かべれば、明々白々である。
「直に未来を見渡すには」
◎となれば、過去にとらわれずに「直に未来を見渡す」という点では、過去の知識や経験が少なければ少ないほど良い、未来がより展望出来る。
「幼いほど先端の未来を歩む」
◎ということから、「未来」については、生まれたての赤ん坊がすべてのものの大先輩である。幼ければ幼いほど、先端の未来を歩んでいると言える。
「未来について知りたければ」
◎ということで、未来について知りたければ、自分よりも年下の者たちを観察することである。幼い者たちは、船先に立ち、進みゆく未来を見つめている。
「年下の者がより未来を歩む」
◎つまり、自分より年下の者が、自分より未来を歩んでいる者たちである。その論理でいうと、「生まれたての赤ん坊がすべてのものの大先輩である」。
「白紙の頭の持ち主」
◎白紙の頭の持ち主が、最先端の知識の持ち主である。赤ん坊はすべての囚われ(過去)から開放されている。その自在さが可愛さの源の一つでもある。
「通り過ぎてきた過去を眺め続ける」
◎それに対して、年齢を重ねたるものほど、船尾に立って、通り過ぎてきた過去を眺め続ける。とはいっても、すべての年寄りが過去にとらわれているわけではない。
「年寄りは分岐しがち」
◎年寄りは、好々爺と意地悪じいさんとに分岐しがちである。その境目は、自我である。感情的な自我に振り回される、凝り固まる片意地じいさん。
「自我がすつぽりと抜け落ち」
◎それに対して、自我(自毛ではなく)がすっぽりと抜け落ちた年寄りは、「笠地蔵」=from"Wikipedia"に登場する心の清い老夫婦のような存在ともなりえる。
「現在に直に向きあう」
◎自我についても、生まれてから現時点までの知識と経験が積もって雪だるまのように形成されたものである。自我が抜け落ちると、現在に直に向き合うこととなる。いらぬ「計らい」が消える。
「政治は国の進路を決める」
◎話を戻す(というか方向転換する)。政治とは、国の進路(行く末=未来)を決める作業をすることである。だのに、日本では、高齢の政治家が厚かましくも、大声を張り上げて進路を命じている。過ぎ来し方へ戻れと命じる。
「若者革命」
◎私は、以前(2008/09/05)、このブログて、「政権交代ではなく若者革命を期待する」という記事を書いた。それ以降も何回も「若者革命」という言葉を使ってきた。
「今は岐路に立つ」
NHKのドラマ「龍馬伝」のような若者たちが、未来を生み出すために、苦悩しながら、一途に働く気運が盛り上がらないだろうかと期待している。その時代と同じように、今は岐路に立っている。
「先輩が後輩を支える」
◎若者達が、新しい日本を作るために、奔走し、それを後ろから、知識と経験を持つ先輩が、支えていくという正常な政治スタイルになることを願っている。
「立ち枯れか立ち上がれか」
◎「立ち枯れ日本」にならないように、「立ち上がれ、日本の若者たちよ」と叫びたい。「立ち枯れ日本」を生み出そうとしているのは、立ち去れといいたい老害政治家達である。