真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

脳のリセットと無の状態

◎今日の話題(テーマ)は、「脳のリセットと無の状態」ということで話を進めていきたい。実は、これは以前に書いた「直感(直観)は論理的判断よりも優れているのは何故か」(2011/02/18)とも関連する。
◎それはともかくとして、まず、「リセット」と言う言葉を聞けば、パソコンの「リセット」を真っ先に思い浮かべられるのではないだろうか。
◎それで、Wikipedia「リセット」を調べてみた。その意味は、「機器の動作状態を初期状態に戻すこと」とある。
◎「リセット」を、日本の双六の言葉を借りれば、「振り出しに戻る」ことである。スタート時点(地点)に戻ることである。
◎これは私の独断と偏見なのだろうが、犬猫もリセットする。その動作が、「首をふる、体を振る」である。もう少し軽ければ、あくびをする。ときには、体を掻く。
◎これらは全て、体から何かを振り払う(あるいは追い出す)行為である。人間においても、首をふる動作をする。その意味は、「否定」である。それは、その情報を振り払うという意味を象徴するのではないかと密かに思っている。
◎否定よりも意味(ネガティブ性)の軽いのが「疑問」である。疑問は明確に否定はしないが、否定へ気持ちが傾いている。それが首を傾げる意味かも。
◎あるいは、水の入ったコップを傾けるように、その情報を幾分か外へ流し出す動作かもしれない。これらは身体言語の一種である。
参考資料⇒「ボディーランゲージ」=from"Wikipedia"
◎ちょっと話題がそれ気味になった。ここから人間の話へと戻す。私たちが仕事へのリセット方法も犬猫と変わらないように思う。でもやっぱ犬猫が出てきてしまった。
◎というのは、仕事が一段落すると、伸びをする、席を立って、コーヒーを入れる、タバコを吸う、トイレに立つなどなどで、気持ちをリセットする。これらは犬猫のリセット方法と大して違わない。
◎まあ、そんな時には、人間様には、リセットとは言わずに、リフレッシュと言うが。リフレッシュもリセット(初期状態に戻すこと)の一種である。
◎受験生では、気持ちをリセットするために、自宅から図書館へ場所を移動する。自宅はどうしてもリラックスモードに入りやすい。それを勉強モードに切り替えるには場所移動が良い。
◎そのようにあるモードから抜け出す方法が場所替えである。仕事は書斎で、休憩は居間で、リフレッシュは庭へ出てと、気持ちの切り替えを場所替えで行うのも一般的である。
◎これからやっと本題に入るのであるが、では、直接脳のリセットはどうしているのだろうか。脳にとって、初期状態とはどのような状態なのだろうか。
◎まず言っておきたいことが、脳は眠らないということである。脳の停止は死である。脳では常に情報が流入し続けている。本当に熟睡している時でさえかなりの情報が流れ込んでいる。
注)外から感覚情報が入って来ないときには、内部の過去情報が噴出してくる。
◎だから、脳にとって初期状態とは、車で言えば、エンジン停止ではなく、アイドリング状態である。完全アイドリングが、脳にとって「無」の状態。
◎だから、仏教的には、哲学的には、「無」とは何も無いのではない。それは情報を流しっぱなしで受け止めないことである。最低限のエンジンの動きがあるが、それを動力として受けないことである。
参考資料⇒「諸行無常」=from"Wikipedia"
◎情報はボトムアップで次から次へと上がってくる。それを受け止めるとは、トップダウンで注意を向けることである。注意を向けることによって、それに関する情報が最優先される。
◎仏教ではそれを、「執着」という。心に留めておくことである。私は、A型のせいか、「執着」が強い。妻はB型ですぐに流してしまう。
◎脳にとって「無」の状態では、アルファ波が発生している。アルファ波はアイドリングを意味する。具体的には、閉眼、安静、覚醒した状態でより多く観察される。
参考資料⇒「アルファ波」=from"Wikipedia"
◎執着といえば、私は以前(2007/08/19)「ストレスが貯まる」という記事を書いた。そこから引用。

精神的心理的ストレスである。精神的ストレスは、流れの停止(心に引っかかったいやなこと)だと考えると分かりやすいだろう。朝青龍も突然のストレスで心の均衡が保てなくなったのだろう。
これは肩の凝りなどの"凝り"と同じである。疲労物質(不快な気持ち)が解消されないでいる。つまり、ストレスの元がなくならない。それがイライラを生み出す、募らせる、堆積させる。
◎脳にとってリセットとは、古い情報を流し出して、総入れ替えして、新しい情報を流し込むことである。心の健康のためには、淀んで溜まった古い嫌な情報は流し出すに限る。
◎で、最初に述べた、「直感(直観)は論理的判断よりも優れている」であるが、論理的判断は主に脳内に貯めてある過去の知識からトップダウンで判断することである。
◎それに対して、直感(直観)は、脳内に流れ込んだ全ての感覚情報と、過去から積み立てた経験や知識とを総合した上でボトムアップで無意識が判断することである。
◎だから、直感(直観)は、現在只今の事柄に対してしか通用しない、働かない。これが論理的判断との大きな違いである。