真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

AKB48騒動から感じたもの

1)私は、SNS的なサービスとして、Google+を使っている。が、AKB48が、画面に頻繁に、登場して、うっとうしいなと、常々感じていた。
2)それで、画面に現れるたびに、ブロックをかけまくった。その結果、今では、全く出なくなった。自分の見たくないものを強制的に見せられるのは苦痛である。
3)チラ見した内容は、マックで、近くの女子高生が、会話している内容とどこが違うのだろうと、感じる話題ばかりであった。でも、ファンにするれば、そこがいいのだろうが。
4)ネットでも、AKB48に対する批判を時折見かける。1]「AKB商法には問題がある」 自民参院議員が自主規制呼びかけ (1/2) : J-CASTニュース、2]朝っぱらから裸同然のAKB48宣伝かい!これじゃあネットに負けても当然 : J-CASTテレビウォッチ
5)AKB48は、63歳の私にとっては、学芸会である。しかも、表も裏も見せる学芸会である。モーニング娘。ぐらいからであろうか、未熟な若い10代を、表舞台だけでなく、というよりも、楽屋裏を主に見せる手法が確立されたのは。
5')もっと古くまで遡れば、堀ちえみスチュワーデス物語にまで行き着くと思える。ここが、芸能界の素人化の出発点だろう。
6)もちろん、これは、日本だけの話ではないが。海外でも、一般の素人をスターに育て上げる番組はある。でも、24時間生中継的な密着度ではないだろう。
7)比喩がおかしいかもしれないが、生きるか死ぬかのような大手術を、廊下で、その結果を、イライラしながら待つのが過去の話であった。昔は、経過を見せるのは、プロではないという、職人意識があった。
8)これは、プロとアマを峻別するための一つの手でもあった。プロの業を結果だけ見せて、その技を驚嘆させる。結果に重きを置いた。峻別を売りにしていた。
9)今では、大手術に、手術室で、立ち会わせるのが、芸能界である。そこに、臨場感、一体感が、強く生まれる。今は、プロとアマが渾然一体になる時代である。
10)これは、スポーツを、テレビ中継、あるいは、ラジオ中継で視聴するのと、会場に直接出かけて行って、他の観戦者と、一緒に、声を張り上げるのとの差であるのだろう。
11)つまり、時代は、芸能界でも、スポーツ等と同じ感覚になってきたということだろう。我々が若い頃には、芸能人は、雲上人に近かった。表舞台の、完成された姿だけを見せられてきた。完成された姿だけしか見ることを許されなかった。
12)そのことによって、尊敬を勝ち取った。高い価値をつけることができた。今では、遠い存在を印象づけるのではなく、近い存在をわざと印象付ける。そこに一体感を醸しだす。
13)私は、若い頃から、ほとんど常に、傍観者的位置に立っていた。傍観者といえば、かなり状況が違うのだが、松尾芭蕉の俳句、「夏草や兵どもが夢の跡」を思い出す。つまり、目の前の臨場と、過ぎ去った離れたところに位置する傍観者。時間的差と場所的差はあるが。
14)若者は、若者だけではないが、若者は特に、情熱を燃やす対象を必要としている。私達の若いころは、古い体制の破壊であった。ベルリンの壁壊しと同じである。
15)政治は、若者たちに、情熱を傾けさせる夢を与える存在で有ってほしいものである。今の政治は、破壊する価値すらない。そもそも価値がないのだから。
16)それに対して、新興国は、その点、国の発展というわかりやすいし取り組みやすい目標が、国民全体の夢として、見えやすい。かつての日本がそうであったように。
17)今は、国の貧困が言われているが、それよりも、政治の貧困のほうが凄まじい。政治は未来を指し示す存在であろう。
18)そのせいだろうか、夢や希望を感じさせてくれる、政治家として、橋本大阪市長が、だんだんと全国的に高まりつつある。彼は、日本の方向を模索し指し示していった坂本龍馬になれるのだろうか。