真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

自分の寿命は自分で決めたいはわがままですか

1)もうまもなく64歳になる私にとって、死というものが、だんだんと身近になってきた。そのきっかけ的なものが、秋川雅史の歌、「千の風になって」であった。
2)私は、「千の風になって」を聞いて以来、死に対して考え方がだいぶ変わってきたように思える。で、このブログで、死者は灰になるだけでなく金にもなりますという記事を書いた。
3)その中で、次のようなことを書いた。
◎「私ももう還暦に到達した。そろそろ死の準備、少なくとも、心の準備をしなければと感じる。還暦という言葉がそうさせるのかもしれないが、体力の衰え、身体の衰えをいろんな機会に感じさせられる」
◎「再び地上に出てくる水(伏流水)のように、人々の心の底を流れていた、余りにも人工化した文化への違和感が表面化し始めたのではないかとも思える。人類の(集合)無意識(ユングの用語)が持っている「自然の中に帰りたい」という本能的願いが再び地上に出て来たのではないか」
◎「なかなか死なせない今の医療の方向にも疑問を感じる。そのような思いから、私は「尊厳死」のカードを持とうと思った。が、そこの協会の趣旨に少々同意しかねたので、加入しなかった。そうであっても、やはり人工にまみれた、機械に無理矢理生きさせられているような治療は悲しい。そのような果てに来る病院死はゴメン被りたい。是が非でも「尊厳死」を望みたい」
4)これは、私だけの気持ちではないだろうと思えたので、私の考えに合う本を探してみたら、いろいろと出会えた。それらの題名をここに紹介する。
1]枯れるように死にたい―「老衰死」ができないわけ: 田中 奈保美
2]「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか: 石飛 幸三
3]日本人の死に時―そんなに長生きしたいですか (幻冬舎新書): 久坂部 羊
4]大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書): 中村 仁一
5]自然死への道 (朝日新書): 米沢 慧
5)ここに、五冊の本を紹介したが、私自身は、その内の一冊も読んでいない。残念ながら、私は、60歳を超えてから、全くといっていいほど、読書をする気にならない。
6)これらの本が、提唱する、「平穏死」、「自然死」、「大往生」は、私の気持ちをとても軽くしてくれた。私は、なぜ「尊厳死」という言葉を避けたいかといえば、そんな大きな言葉は要らないと思えたからだ。
7)私は、70歳を超えたら、生死に関わるような病気をしても、治療をしないことに決めた。平穏死、自然死、大往生、枯れるような死。を望みたい。
8)これらは、私にとって、憧れるような死に方である。苦痛を感じながら、苦痛を長引かせるだけのような治療は御免こうむりたい。
9)これらの本は、科学や技術が、人を幸せにしているのだろうかと、問いかけているように私には思える。今の医療は、長く生きながらえさせることが、素晴らしいこと、幸せなこと、と勘違いしているのではないか。
10)私は、妻のお母さんが、単に内臓だけが生きているのではないかと感じさせられるような、そんな姿を見てきた。手が動かない、足が動かない、瞳さえ動かないように思えた。
11)でも、たしかに、呼吸はしている。食べ物を、唇にあてがうと、口が開く。そこへ、スプーンで、流動食を流しこむ。それを自力で奥へと飲み込む。
12)しかし、ついに、食べ物を唇にあてがっても、口を開かなくなった。医師が、胃にチューブを差し込んで、そこから直接栄養を流しこむかどうか、決断してくれと問いかけてきた。
13)妻は、そこまでしたくないと、断った。私も同感だった。その結果、枯死を待つこととなった。ちなみに、私の母親は、自ら、食事を絶って枯死を選んだように思える。
14)退院の可能性のない、入院をしていた母は、父が死んだことを知ってから、約2週間後に死んだ。病院の介護専門の人から、食事を断つと2週間ほどで死ぬと、あらかじめ私は聞かされていた。
15)私も、薬漬け、治療漬けの挙句に苦しんで死ぬような目には会いたくない。癌などになった場合には、末期になるころには、自ら、食事を絶って、枯死したいものである。
16)でも、いざとなったら、そんな方法を選ぶ勇気があるのだろうか、気の小さい私は心配して、夜も寝られなくなるのではないか。