真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

文化文明の進化論的な栄枯盛衰(4)

ここからは、人間の文化文明の進化論的栄枯盛衰を見て行きたい。まずは、余剰について考えたい。
1)自然物(動植物)採取:散逸構造体である動植物は、エネルギー源を取り込まなければ命を維持できない。人間は、食料として、動物植物を捕獲、採取する。これは動物も行なっている。
生物であれ無生物であれ散逸構造体は、自律できなくなると、死を迎える、命が絶える。例えば、台風でも、エネルギーの補給がなくなれば、消滅する。なぜか、生物の場合にだけ、命というようだが。生物の場合でも、さまざまな有形無形のものが、一つの系としてまとまっていたもの。
2)自然物生産:農耕が開始されたのは、新石器時代からである。植物の栽培と、牧畜とによって、余剰の発生、余裕・余暇の発生が生じた。
そのことで、人類は、動物から人へとのぼった。集団の規模が格段に大きくなった。集団の規模の拡大が新たなものを持ち込んだ。
動物から、人間を分かつものは、「余剰」と「外化」だと感じる、と最初に述べた。だが、人と動物を分かつものは、言葉と道具だとも言われる。もちろん、動物にも、萌芽的な段階の言葉や道具使用は見られるが。量的な差異が、質へと転化するほどの圧倒的な差異が、人間の場合には見られる。
質とは、中身・内容を問題にすることである。例えば、睡眠に関して、時間の長さとか回数という量的な面と、ぐっすり眠ったとか、うとうとしただけとかの眠りの内容の良さを問題にするときに、質という言葉を使う。
例えば、カエルが木の切れっ端を乗り物として使う場合と、人が木を加工して船(乗り物)を作る場合とは、乗り物の質が異なるといえる。
農耕牧畜によって、全員が自然物(食料)生産に従事しなくてもよいほどに、つまり、余剰が生み出されて、食料生産外の時間(文化的活動)が発生した。
より厳密に言えば、「大河の水を利用した大規模な灌漑農耕が、豊かな収穫を可能にし、大量の余剰生産物を生みだした。これが、文明の発生へとつながっていった。したがって、農耕=文明ではないのであって、大規模灌漑農耕が文明を生む基盤」であった。引用from「農耕と牧畜の開始(文明への始り)」
だけども、植物栽培は人間だけの専売特許ではない。ハキリアリは、キノコを栽培する。が、残念ながら、彼らには、それによって、余剰や余暇が発生したようには思われない。
食料生産外の時間を持て余す犬や猫でさえ、それらを文化的活動へと振り向けることはない。
ということで、食料生産による、余剰や余暇が発生しただけでも、文化的活動が自然に生まれるわけでもない。さらなる条件(進化)が必要である。
文化的活動とは、有形無形の人工物(例えば、文字)や生命活動に必須ではないものを創作、生産、活用する行為である。
3)宗教(キリスト教、仏教・儒教など)が中心の文明文化が生み出された。世界を解釈する方法・手段として、宗教教義が誕生していった。また、抱え込む集団の規模が大きくなったので、統一・統制するための手段が必要となった。
キリスト教では、十戒という十の戒律が提示された。モーセが神から与えられたとされる10の戒律である。あなたの父母を敬えとか、殺してはならないとかの、道徳的なことも述べられている。
動物の場合には、種が共有する、生まれながらの、強力な本能的知を持ち合わせている。が、人間の大脳新皮質には、生まれながらの知を持ち合わせない。
注)ポール・マクリーンの、脳の三層構造説。
脳は、①爬虫類脳、②旧哺乳類脳、③新哺乳類脳の三つに分かれる。
①は呼吸、心拍、体温維持、摂食、睡眠、覚醒など生命の維持(身体的知)に関わる脳幹や間脳。
②は感情、記憶、快・不快の価値判断など生物として生きていくために必要な能力(感覚感情的知)に関わる大脳辺縁系、海馬、扁桃体
③は思考、会話、芸術など高度な精神活動(精神的知)に関わる右脳と左脳に分かれる大脳新皮質
文明文化を創造する能力は、主に大脳新皮質が担う。
人間の場合には、大脳新皮質が主役になることができるが、犬や猫では、大脳新皮質が主役の座を奪うことができない。
旧哺乳類脳が、感じ取った情報を、動物的な感覚(生得的知と後天的情報の合成)によって、判断した結果生み出した知を本能という。犬や猫は、その旧哺乳類脳が主役となる。
脳においても、主役の交代という形での進化が行われている。たぶん、主役の交代は、機能別脳内容(①②③)の量的な多さ・大きさが決定するのだろう。
だから、人間においても、赤ん坊の段階では、すでに大脳新皮質が存在しても、判断できるほどの体験知が蓄積されていない。
故に、生得的知に従って働く①が主役の段階から人生をスタートする。そして、後天的な体験によって獲得された知が加味された本能に従って働く②や、後天的な体験がほとんどを占める③が順次主役に立つ。
②は、自由度がかなり低い(本能的知から離れられない)が、③は、圧倒的な自由度を誇る。
注)この圧倒的な自由度が、動物的本能からは、考えられないような、行動をしでかす。
なお、幼い頃に、感情や快・不快の価値判断的な体験(②に蓄積)をあまり積まずに、早期に知的体験(③に蓄積)を積み過ぎると、冷たい知的な大人になる可能性も高い。

宗教中心の文明文化の栄盛を、象徴的に表す出来事が、4世紀、キリスト教の公認・国教化である。
注)日本列島、2〜3世紀に存在したとされる国のひとつ、邪馬台国(約30の国からなる日本の都)は卑弥呼(呪術を司る巫女のような人物)が治める女王国。

宗教中心文化文明の枯衰を象徴的に示す出来事は、西洋では魔女狩り(15〜18世紀)、東洋ではアヘン戦争(1840年、19世紀)、であろう。
アヘン戦争は、東洋の西洋への敗北を象徴する出来事である。日本では、黒船の来航であろう。アヘン戦争や黒船の来航は、西洋の科学技術の圧倒的優位性を見せつけるものであった。
魔女狩りが発生したのは、当時のヨーロッパを覆った宗教的・社会的大変動が、人々を精神的な不安に落としいれ、庶民のパワーと権力者の意向が一致したことが原因だと見られている。改変引用(fromWikipedia)
ほとんどの民族では、世界を解釈するための、解釈を統一するための、神話が生まれた。神話とは、現代的に言えば、思考・思想を統一するための教科書である。
日本も例外ではない。仏教が伝来するはるか前から、神話が存在した。

キリスト教の聖書も、世界解釈書である。また、それは、キリストによって、ユダヤ民族だけの教科書ではなく、民族を超える普遍性を与えられた。
宗教教義では、時代につれて、条項が追加されるかもしれないが、根本部分は不変である。教義を遺伝子(ミーム)だとみなすと、環境・時代の変化についていけない生物は、淘汰されるのが自然哲理である。