真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

創造と模倣、前頭前野と小脳、水平思考と垂直思考

以前(2013/08/29)、このブログで、"「なぜ国家は衰亡するのか」を読みながら考えたこと"という記事を書いた。
そこから引用。「大多数の人が創造的な少数者の行為を忠実に模倣しそれを繰り返すことによってのみ、社会全体として意味ある生産活動につながりうる」
今日は、この部分を改めて考えてみたい。
創造的な少数者を、前頭前野に、行為を忠実に模倣しそれを繰り返す大多数の人を、小脳に置き換えてみる。
前頭前野は、意識化、システム化、創造を受け持つ。小脳は、習慣化、模倣、自動化、無意識化を受け持つ。
パソコンなどのプログラムに置き換えると、前頭前野は、プログラム作成者であり、小脳は、自走式プログラムである。
例えば、子供が自転車の乗り方を習う場面を考えてみる。乗れない間は、あれこれと試行錯誤をしてゆく。それは前頭前野が受け持つ。
そして、うまく乗れた成功体験を小脳にモデルとして、移行させてゆく。足の動き、ハンドルさばき、バランス感覚、などの成功事例をひとまとまりにした完成モデルを小脳に作成する。そこまでが前頭前野の役割である。
そして、小脳が主導権を取って自転車に乗りこなせた瞬間が、突然の「やったー、乗れたよ」である。これが自動的に、無意識的に乗れた瞬間である。
だから、創造的な少数者をできるだけたくさん育て上げるためには、今までの一斉授業だけではダメである。
もちろん、知識を詰め込む一斉授業がダメなわけではない。これは、どちらかと言えば、小脳を育てるやり方である。成長途上国には最適な授業方式である。
知識がなければ、創造は生じてこない。つまり、知識の上に創造が育て上げられる。これは、土(知識)の上に種(創造)をまくのに似ている。
土(知識)がなければ、種(創造)は育たない。であっても、日本の教育は、大学においてすらも、一斉授業が主流になっている。
日本の教科書は、縦型体系である。つまり、英語、数学、社会、理科などと分類されている。でも、創造は、異分野横断という横型である。
思考方法に、垂直思考と水平思考という方式がある。垂直思考は、「論理を深めるには有効である一方で、斬新な発想は生まれにくい」。
それに対して、水平思考は、「多様な視点から物事を見ることで直感的な発想を生み出す方法」である。引用from水平思考 - Wikipedia
知識を深めるには、縦型体系の知識、論理思考には、垂直思考がふさわしい。しかし、創造には向かない方式である。
では、創造とは、一体何なんだろうか。恩田 彰(東洋大学)氏は、「異質の情報や物を今までにはない仕方で結合することにより、新しい価値あるものをつくりだす過程である」と定義する。
創造は、論理ではなく、ひらめきであり、異種の結合である。縦という同種類のものから選ぶのではなく、横(水平)に並ぶ異種のものの中から、選び出して、価値あるものを組み立てることである。
日本の教育内容に、この創造を育む授業時間を取り入れるべきである。私は、「ゆとり教育」が、それに該当する方式になりえると期待したのだが。
残念ながら、ゆとり教育を実施するのに、準備期間(最低5年)と、十分な研修期間(最低一ヶ月)とをすべての教師に与えていたのだろうかと疑問に思う。
それ程に、創造教育は難しい。というのは、問題設定から、回答作成まで、すべて生徒が主体的に動かねば、創造教育とはいえない。
つまり、大学の論文作成と同じレベルである。それを早ければ、小学校高学年あたりから、指導に当たるべきだと思う。
今の日本の授業内容と、授業体制は、意欲のある子どもたちにとっては、余りにも、つまらない刺激のない内容である。
それ故に、心ある子どもたちの精神が弛緩してしまっている。彼らを活き活きと授業に向かわせる指導を期待する。
とはいっても、最終目標が有名大学進学にある学校では期待できそうもない。そこで、先進性のある、意欲のある塾が、創造教育を実践してくれることを期待したい。
追記)今の大学の入試問題は、創造力・創造能力・創造性を求める問題はほとんど出題されていない。
追記)少し期待が持てるかも⇨大学入試改革の素案“新テスト 複数回受験も” NHKニュース