真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

元優等生にできることは.....

私は、今、全体としての日本にとても興味がある、関心がある。で、その、「全体としての日本」についていくつか記事を書いてきた。
日本は以前世界で最高の優等生だった。だが、今ではその面影さえない。そんな元優等生が、返り咲きなるのだろうか。
注)実はもうとっくに返り咲いてると思っている。以前は経済面での優等生、今は文化面での優等生。文化面での優等生は心の豊かさを信条とする。
そこで、今日は、「全体としての日本」ではなく、個人の生き方について、考えてみた。ということで、元優等生に登場してもらう。
例えば、小学校時代優等生だったが、中位くらいに落ちてしまった中学生が、親(特に母親)から、「あなたはやればできる子なのだから、頑張りなさい」と言われた状況について考えてみた。
追記)私の通っていた小学校でも、東大合格間違いなしの、超秀才として校区内で有名だった生徒が、中学校では中位に低迷していた。親は恥ずかしくて引っ越ししてしまった。
元優等生で今はそうではないことから、その子供の心のなかには、親の言うように本当に「やれば出来るのだろうかという不安」は大きいはずだ。
そこで、その子供が、特に外向的な子供であれば尚更だが、頑張らない口実を外に作り出して、頑張ることを間接的に拒否する。
内向的な子供の場合には、自分を責めて、内にこもってしまったり、不登校生になったり、うつ状態になったりする可能性が高い。
外向的な子供は、そんな状況では、例えば、学校では授業中うるさいので、先生の話がよく聞き取れない。
自分の苦手な教科に関しては、あの先生の教え方が下手なのでよくわからない。個室の部屋がないので、勉強に集中できない。
家庭教師をつけてくれれば勉強する。ついたらついたで、あの先生は説明が下手なので理解できない。などなど。
でも本音では、本当は、親の言うとおり頑張ってしまえば、その結果が出てしまう。その結果が、親の期待したレベルでなければ、「あなたはやればできる子」ではないことを「自ら証明してしまった」ことになる。
それは、元優等生にとっては、今まで築いてきたプライドが絶対に許さない。「必ずできる」という自信がもはや無いので、それは絶対に避けねばならない。
だから、その子供は、是が非でも、頑張らない口実を外に作り出し続けることとなる。かくて、親とのせめぎあいが延々と続く。
では、そんな心の持ち主である、元優等生に、再度、頑張って努力してもらう方法はあるのだろうか。
それに対する答えとなるかは分からないが、答えとしては、親がその子供に対する期待を捨て去るしかない。その子供への期待を諦めるしかない。
小学校時代優等生だった生徒のほとんどは、親がとても教育熱心で、小学校低学年から、否、幼稚園時代から、あるいは、胎教から、熱心に教育してきた可能性が高い。
そんな親の子供が不本意な成績を取り始めるのは、たいてい、早ければ小学校高学年から、中学校2年くらいの間である。
そのような子どもたちに共通するのは、教科の知識はとても高いが、基礎的能力(精神面も含めて)が出来上がっていない場合が多い。
つまり、小学校時代優等生だった生徒は、頭の回転が速いうさぎ型であることが多い。
うさぎ型とは、足の速いウサギと足の遅いカメが競走をし、最終的にはカメが勝利する話のうさぎである。
注)ウサギとカメ - Wikipedia
小学校時代の優等生を追い越してゆくのは、カメ型努力家である。時期は、早ければ小学校高学年から、中学校2年くらいの間に。
社会で勝ち組に入るためには、カメ型でなければならない。几帳面さが絶対に必要である。一にも二にも几帳面さ。
几帳面さしかない人は、社交性のある人物とペアを組むとうまくゆく。そんな事例が成功者の中にも多い。
カール・ロジャースは、「人間には有機体として自己実現する力が自然に備わっている。有機体としての成長と可能性の実現を行うのは、人間そのものの性質であり、本能である」という。
注)「ロジャースは、人間には自己のすべての能力の発揮と実現に向かう傾向である、自己実現傾向があり、それがすべての人に生得的に備わっているとした」
参考)カール・ロジャーズ - Wikipedia
また、「自分自身を受容したとき、人間には変化と成長が起こる」とも言う。「受容する」とは、ありのままの自分を受け入れることである。
ほとんどの子どもたちは、親の期待を生きている場合が多い。その期待に答えられないと、心が混乱する。
追記)思春期とは、親の期待を生きることから、自分の内面に忠実になる時期とのハザマ、転換期である。心の中に、親が植えつけた種とは違うものを植え直す。
その混乱から解放する方法が、ありのままの自分を受け入れることである。そして、そこから再び成長が始まる。自己実現へと向かう。
親の側からすれば、その子を受容するとは、子供への一切の期待を捨てて、その子の現在のありのままの状態を受け入れることである。
親が前から子の手を引っ張ってきたのを、背後から子の背中を見守る位置に立つことである。