真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

トーナメント形式における「統合と分解」の統合力の根源

[統合と分解]
◎私は、宇宙原理としてのトーナメント形式における変化展開要素の一組として、「統合と分解」があると述べた。その内の統合について、世界中のさまざまな人が説明解説している。それを聞いてみよう。
[統一力]
◎まず、哲学の世界では、「西田幾多郎」の「善の研究」(fromWikipedia)には、「統一力」という記述がある。

“善とは自己の内面的欲求を満足する者をいうので、自己の最大なる欲求とは意識の根本的統一力即ち人格の要求であるから、これを満足する事即ち人格の実現というのが我々に取りて絶対的善である。
而してこの人格の欲求とは意識の統一力であると共に実在の根柢なる無限なる統一力の発現である、我々の人格を実現するというはこの力に合一するの謂である。”
[実在と意識]
◎西田は、「実在(神)の根柢なる無限なる統一力」が、人間の中では「意識の根本的統一力」、「人格の欲求」として働き、現れているという。
参考資料→心理学者「アブラハム・マズロー」の「自己実現理論」(fromWikipedia)
[梵我一如]
◎古代インドには、正統バラモン教の中心思想の中に、「梵我一如」(fromWikipedia)という概念が存在する。
梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想
[梵我一如と統一力]
◎西田のいう「統一力」と、バラモン教の梵我一如を比較すると、「実在(神)の根柢なる無限なる統一力」=「梵」で、「意識の根本的統一力」=「我」となる。西田はそれらが「合一」するといい、バラモン教は「同一」だという。
[道元]
◎日本の仏教者「道元」は、西田の「統一力」やバラモン教の「梵」に対して、日常語的(?)な表現「仏」「仏道」「万法」を使って次のように述べている。
[仏の家に投げ入れ]
◎1)「ただわが身をも心をも、放ち忘れて仏の家に投げ入れて、仏の方より行われて、これに随いもてゆく時、力をもいれず、心をも費やさずして、生死を離れ仏となる」
[自己を忘るる]
◎2)「仏道を習うと言うは自己を習うなり。自己を習うというは自己を忘るるなり。自己を忘るるというは、万法に証せらるるなり」
[迷いと悟り]
◎3)「自己をはこびて万法を修証するを迷いとす。万法すすみて自己を修証するは悟なり」。ここでは、はこぶ「自己」(迷い)と自ら進み出る「万法」(悟り)とで、言い表している。
[万法に証せらるる]
◎つまり、「意識の根本的統一力」が明確に働くようにするには、「自己をはこ」ばず「わが身をも心をも、放ち忘れて」「自己を忘るる」ことによって、万法がすすみて証する「実在(神)の根柢なる無限なる統一力」が強く働く(「万法に証せらるる」)という。
[自力と他力]
◎なお、私には、「親鸞」が使う「自力」と「他力」では、「自力」が今でいう「自我」で、「他力」は万法がすすみて証する「実在(神)の根柢なる無限なる統一力」ではないかと思う。なお「自然法爾」は「他力」が十全に働き現れている状態である。
[集合的無意識]
◎心理学の世界では、「ユング」が、「普遍的無意識・集合的無意識」(fromWikipedia)という。ユングは彼なりに科学的であろうとした。
「人間の無意識の深層に存在する、個人の経験を越えた先天的な構造領域」である。個人のコンプレックスより更に深い無意識の領域に、個人を越えた、集団や民族、人類の心に普遍的に存在すると考えられる先天的な元型の作用力動を見出した。
[無意識の深層]
ユングは、長年の自己分析と、他者の心理分析から、「人間の無意識」(個人無意識)の深層に、個人を越えた「普遍的無意識」を見た。
[自己実現傾向]
◎同じく心理学の世界で「カール・ロジャーズ」(fromWikipedia)は、「自己実現傾向」が備わっているという。
人間には有機体として自己実現する力が自然に備わっている。有機体としての成長と可能性の実現を行うのは、人間そのものの性質であり、本能である。カウンセリングの使命は、この成長と可能性の実現を促す環境をつくることにある。
自分自身を受容したとき、人間には変化と成長が起こる。カウンセラーは、クライエントを無条件に受容し、尊重することによってクライエントが自分自身を受容し、尊重することを促すのである。
[道・タオ]
中国哲学上の用語「道(どう・タオ・みち)(哲学)」(fromWikipedia)は、根本的概念である。
人や物が通るべきところであり、宇宙自然の普遍的法則や根元的実在、道徳的な規範、美や真実の根元などを広く意味する言葉である。
老子によれば、道とは名付けることのできないものであり(仮に道と名付けているに過ぎない)、礼や義などを超越した真理とされる。天地一切を包含する宇宙自然、万物の終始に関わる道を天道(一貫道ともいう)といい、人間世界に関わる道を人道という。
[天道と人道]
◎道は、天地一切を包含する宇宙自然、万物の終始に関わる「天道」と、人間世界に関わる「人道」に分けられるという。
[力への意志]
◎西洋ドイツの哲学者「フリードリヒ・ニーチェ」は、「力への意志」(fromWikipedia)という哲学的概念を使った。
「我がものとし、支配し、より以上のものとなり、より強いものとなろうとする意欲」で、「意志」は、個人の中に主体的に起きる感情のみを指すのではない。力への意志は自然現象を含めたあらゆる物事のなかでせめぎあっている。
力への意志の拮抗が、あらゆる物事の形、配置、運動を決めている。つまり、真理は不変のロゴスとして存在するものではなく、力への意志によりその都度産み出されていく
[物事の形配置運動を決める力への意志]
◎「個人の中に主体的に起きる感情」的意志と、「自然現象を含めたあらゆる物事のなかでせめぎあって」「あらゆる物事の形、配置、運動を決めている」力への意志とがある。
[洋の東西や時代を問わず]
◎このように、洋の東西を問わず、時代を問わず、「個人の中にある力」と、「宇宙の中にある力」とを感じ取り、それらが「同じもの」であると感じさせる表現が提示されている。
[悟り]
◎特に、道元は、「宇宙の中にある力」が、個人の中で働き、それが個人を動かす段階に達したときを「悟り」だといい、西田は「我々の人格を実現するというはこの力に合一するの謂である」といい、その「合一」をロジャーズは「自分自身を受容し、尊重する」ことだという。