真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

自我という首をはねると、生死をはなれて、仏となる

まえがき)私は、「自力本願と他力本願とで、高度な時代を乗り切れ」-(真 夢人 日記)という記事を書いた時、そこに追記を附加した。追記が長くなりすぎたので、それを独立させて別のページに移した。
それに、「意識(自我)と無意識の関係は人と神との関係」-(真 夢人 日記)という題名をつけた。しかし、その追記に加筆訂正していくうちにまた長くなりすぎてしまった。それで、その後半部分だけを、このページに移した。
追記5-1)私には、孔子は、ユングと同様に、自我を育てるという方向を強調したように思える。そして、その後には、もちろん無意識側を主役にすることも述べている。それを示す有名な言葉がある。
追記5-2)「吾 十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順い、七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず」。40歳台までは自我を育てる方向に進む。だがしかし、50歳からは、無意識側を主役に立てる。
追記5-3)「心の欲する所に従いて矩を踰えず」は、仏の掌(矩)内で暴れる孫悟空(心の欲する所)である。自然法則に逆らわない範囲内での能力の発揮である。孫悟空では、お釈迦様によって、頭へ金色の輪、緊箍(きんこ)がつけられた。
追記5-4)宗教は、俗世間を離れることを説くので、俗世間での主役の自我を極悪人のように嫌うが、孔子は、日常生活に秩序をもたらす道徳を説く。だから、自我を育てることを奨励するのだろう。
追記5-5)自我は自己主張する。それ故に、人々は争う。しかし、すべての人々が、無意識側を主役に動けば、世界には平和が訪れる。
追記5-6)というのは、無意識側は宇宙全体が一体となって、万物流転する世界である。宇宙法則(西田幾多郎のいう統一力、ユングの言う普遍的無意識層、道教の言う道)が働く場所である。
追記5-7)宇宙法則では、作り出せないものを創り出すのが意識である。本来的には、宇宙法則で作り出せないものを、人間が意識の力で創り出し、それを、宇宙法則内に包摂してゆく。意識は能動的発信的だが、無意識は耳を澄まさなければ聞こえないほどに受動的である。
注)「包摂」とは、「本来の諸関係にとって外生的な存在を取り込む過程」
追記6-1)だのに、「人生は冥土までの暇つぶし」(今東光の言葉)では、あまりにも寂しい(多分、真意はそうではないのだろうけれども)。また、自我か完全に消滅してしまった天国はあまりにも無味乾燥過ぎる場所だ。
追記6-2)このように感じていた私ですが、孔子の言葉とユングの言葉とで、自我は立派に育てるべきだと納得した。もちろん、自我を超越して、無我へまで到達する宗教も必要だと感じているが。
追記6-3)聖書にある「アブラハムがイサクを捧げる」という話はこのことを暗示しているのでは、と私には思える。大切な一人息子である、自我は立派に育てたあとで、神に捧げるべきなのだと。最初は、神はなんという事を要求するんだと憤慨したが。イサクを自我と読み替えると納得できた。
追記6-4)(旧約聖書、創世記中で)アブラハムは、年老いてからもうけた愛すべき一人息子イサクを生贄に捧げるよう、彼が信じる神によって命じられた。この場合、「アブラハムはほとんど盲目的に神の言葉に従った」という全幅の信が眼目である。
追記6-5)最初の人間、アダムとイブは、神の命令に逆らっている。その結果、楽園からの追放の憂き目に合う。自我は、争うのである。自我の発生は、第一反抗期を生み出す。さらなる自我(個)の確立期である第二反抗期は、親からの分離(独立)を促進する。
追記6-6)人生前半は、積極的に自我を育ててゆく。だがしかし、後半には、その積極性を捨てて、無我(神仏)に全幅の信を置いて、受動的に心身をゆだねていく。この大転換として、挫折が貢献することが多い。
注)神話や昔話などは、「鳩という具体的な動物が、平和という観念を表現する」など、「抽象的な思想・観念・事物などを、具体的な事物によって理解しやすい形で表す」「象徴」としてみるべきである。具体を抽象化する、つまり階層(普遍度)を上げて読み取る必要がある。
最後に-1)仏教の達成課題は、生老病死の苦の克服である。キリスト教の達成課題は、永遠の命の獲得である。肉体側(意識側)には、生老病死がある、つまり、全ての点で有限である。
最後に-2)魂側(無意識側)は、時間も空間も存在しない永遠、無限である。つまり、生老病死の苦(意識側)の克服も、永遠の命(無意識側)の獲得も、表現こそは異なるが、同じことを指し示している。
最後に-3)それを道元は、「生死をはなれて、仏となる」という。魂側が表舞台に立つと、不安がなくなり、死を恐れなくなる。不安や恐怖は、肉体(意識)に付属する機能である。