真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

ネットの海のように、無意識層は知識や知恵でいっぱいだ

1)あるきっかけから、ある言葉が、私の頭から離れなくなった。それについてさまざまな考えが自動的に巡りだした。その言葉とは、自力本願と他力本願である。
2)数日そうするうちに、ある程度まとまりだしたので、それらを書こうと思った。それらを書こうと思った理由は、次の歌の趣旨と同じである。
注)書いているうちに、不足部分が次々に目につき注ぎ足す結果になった。
◎分け登る ふもとの道は 多けれど 同じ高嶺の 月をこそ見れ。
◎分け登る ふもとの道は 違えども 同じ高嶺の 月を見るかな。
3)これらの歌は、目指す目標(目的)は同じなのだが、そこへ到達する手段にはさまざまなものがあると、歌っている。私は、手段にもレベルというか、階層というかがあると感じている。
4)これは、私の独断なのだが、西洋の宗教と東洋の宗教に関して、ユダヤ教キリスト教小乗仏教大乗仏教=自力本願:他力本願、という相関関係があると感じられる。
5)この事実は、どの宗派も、単独で全てを網羅するほどの教義を提示しきってはいないということを意味するのだろう。その理由の一つとして、網羅しきってしまえば、余りにも煩雑、複雑になるからだろう。
6)つまり、提示する相手、的を絞っているといえる。「対機説法」という言葉がある。衆生の性格や気質はそれぞれ異なるために各人に合わせて教えを種種雑多に説いたからである。
7)私は、宗教生活、人間生活、日常生活での成長、向上を目指すための方法を提示している諸々の理論は、全体の絵柄の一部を深く掘り下げて描き出しているのだと思えた。
8)それで、それらを、ジグソーパズルの絵柄として、一つにまとめあげたいと、余りにも不遜な気持ちを抱いてしまった。
9)まず、宇宙には、階層構造がある。人間の場合、その階層構造の最上階に、意識が存在する。その下に、個人無意識が、更にその下には、人類無意識(集合無意識)、更にまたその下には、宇宙無意識が存在する。あとに行くほど普遍性が高くなる。
10)フロイドは、無意識のうちで、個人無意識を主に扱った、と同時に意識(自我)も扱った。それに対して、ユングは、その下にある人類無意識(集合無意識)を扱った。
11)意識、個人無意識、人類無意識は、心理学が扱う。宗教は、更にその下にある宇宙無意識にまで、降下することを要求する。
11)意識⇒個人無意識⇒人類無意識(集合無意識)⇒宇宙無意識。意識から降りてゆくほど、普遍性(集合性)が高くなる。宇宙無意識まで下降すると、個人性が消える。
12)逆に言えば、宇宙無意識から上昇するほどに、個別性が強くなる。意識(自我)が余りにも強くなりすぎると、孤立化する。それが社会問題ともなっている。
13)今、引きこもりも問題になっているが、周りが強い意識の持ち主なので、彼らに取り込まれるという漠たる不安があるのだろうと、私には思える。彼らは、逆に自我を鍛える必要があるのではと思う。
14)話を戻すと、神との一体感を感じるには、宇宙無意識にまで降下しなければならない。部分的に宇宙意識に入ると、カモメや松との一体感を感じる。それは宇宙無意識の入口に入ったことを意味する。宗教の最終目標はそこにあるのだろう。
15)でも、ほとんどの人は、人類意識や宇宙意識とは無縁である。なぜそこに到達するのが困難なのだろうか。強い意識を消せたとしても、その下に個人無意識が見えてくる。そして、個人無意識から知恵が上がってくる。ここを透明にしなければ次へ進めない。
16)この個人無意識を透明にすれば、次の人類無意識(集合無意識)を垣間見ることができる。そしてそこから知恵が沸き上がってくる。別の言い方をすれば、無意識は知恵の泉である。
17)意識が強く働けば、個人無意識の知恵を組み上げることができない。恐怖などで意識が強くなりすぎれば、パニックになるのはそのためである。意識の働きを弱めれば、無意識がその分だけ働き始める。
18)人類無意識(集合無意識)から知恵をもらおうとすれば、個人無意識のざわめきを沈めなければならない。それを沈めたり、消したり、透明にしたりする方法が、心理療法であり、瞑想であり、座禅である。
19)透明といえば、水は光りの波長より千分の一も小さい分子でできているので 光りは水の分子に妨げられない。ガラスも、水の分子の二倍程の酸化珪素分子でできていて,その上、無限につながり境目がないため,光りが散乱されない。
20)比喩的に言えば、無意識層を水やガラスのような層に作り変える作業が、座禅であり、瞑想である。それぞれは例えればレンズのようなものに変えることである。透明な状態は、脳波で見ることができる。
21)この層を不透明にしている原因は、不安であり、恐怖であり、怒りである。これらの感情が、自我に防衛機制を発動させる。自我の最大の機能は、自分を守ることである。そして、不安は、危険の存在を警告する警報機である。
22)宗教、特に、仏教で、自我を最大の敵であるかのように、嫌悪するは、この理由からである。自我を消したい宗教にとって、自我を発動させる不安も敵である。
23)話を進めると、科学が扱うのは、宇宙無意識領域である。もちろん、心のなかにある通路を通って無意識に入る宗教と違って、物質の動きを外から観察してそこにある法則を見つけ出す。科学は、宇宙無意識領域だけを扱うのに、全領域を扱えるかのように勘違いしている。
24)これが不幸を生み出すもとである。宇宙無意識(宇宙原理)は、物質に秩序を与える法則を受け持っている。その法則は、科学が扱える。個人無意識は個人に情報を与え、人類無意識は、人類に情報をもたらす。
25)情報処理は科学になじまない。特に、人間に関する情報は、人文系情報は、統計学などの数学分野ではないだろうか。だのに、科学は信仰すべきもののようになり宗教化しているように思える。
25)話を戻すと、芸術が鑑賞に耐えられるのは、高い評価が得られるのは、創り手が、人類無意識(集合無意識)層から知恵を汲み上げる能力を持ち、更に、意識(自我)によって、技術的に高度なものに仕上げる力量を持っているからであると感じられる。
26)人類無意識(集合無意識)層から知恵を汲み上げる能力を持つ故に、凡人たちの自我とは、大きく異なっている可能性が高い。奇人変人でありがちである。あるいは、逆に自我の能力がひ弱である。
27)地球の地層には、さまざまなエネルギーが蓄えられている。石炭、石油、天然ガス、などなど。それと同じように、それぞれの無意識層がたたえている知識、知恵の種類が異なる。
28)ネットの海からは実にさまざまな情報が汲み出される。私たちは、どの無意識から、とんな知識や知恵を汲み上げようとするのだろうか。
29)聖書には、「初めに言葉ありき」とある。さらに、「万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった」ともある。聖書の「言葉」は、ロゴスで、古代ギリシャ哲学者ヘラクレイトスは、ロゴスを世界原理(宇宙原理、宇宙法則)とした。
30)正気の聖書の内容は、私には、神の存在領域である、宇宙無意識での出来事を述べているように思える。とすれば、個人は個人無意識を作り、人類は人類無意識を作り、神は宇宙無意識を創造し支配する。
31)単なる宗教心からだけ、無意識を掘り進む必要はないと、私には思える。各人は、自分の能力を高めるために、自分の技能を向上させるために、自分の性格を改善させるためにも、無意識を掘り進んでいかれてはいかがですか。