真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

「受容」とは、禅宗で言う「即今・只今・此処」だ

前回(2013/10/05)、私は、このブログで、"元優等生にできることは....."という記事を書いた。
その中から二ヵ所引用。
1)カール・ロジャースは、「人間には有機体として自己実現する力が自然に備わっている。有機体としての成長と可能性の実現を行うのは、人間そのものの性質であり、本能である」という。
2)「自分自身を受容したとき、人間には変化と成長が起こる」とも言う。「受容する」とは、ありのままの自分を受け入れることである。
私は、この「受容」から、禅宗を思い出した。ということで、今日は、「受容」と、禅宗とがどういう点でつながっているかを考えてみた。
結論から言えば、「受容」とは、禅宗で言う「即今・只今・此処」だと思う。ということで、四ヵ所(少し改変)引用from"慈雲寺の紹介"
1)「真に心の自由を求める」のは、「脚下照顧」つまり自分の足もとを見つめることから始まります。
2)禅で最も重要なのは「いま・ここ」です。禅的表現では「即今・只今・此処」。
3)別の表現では、「覿面の今」(てきめんとは目前)
4)一瞬一瞬の現在を完全に充実しきることです。そこに、私たちの生命がいきいきと全身を露わす。
"受容"とは、過去にも未来にもとらわれないで、まさに今の自分をありのままに受け入れることである。なお、「心の自由」とは、過去にも未来にもとらわれないことである。
カール・ロジャースの心理学と、禅宗とは、根本に共通するものを持っている。それは、各人には、「自己実現する力が自然に備わっている」という信条である。
禅宗では、それを、「現在を完全に充実しきること」で、生きとし生けるもの全てに宿る「生命がいきいきと全身を露わす」と表現する。
ロジャースの心理学も、禅宗も、現在を強調するけれども、過去はいらないと言っているのではない。「今を充実しきること」で、これが過去へと蓄積されていくことは当然とみなしている。
また、両者とも、未来はどうでもいいと言っているのでもない。「自分自身を受容したとき、人間には変化と成長が起こる」から、「自己実現する力が自然に備わっている」から、「生命がいきいきと全身を露わす」から、意識的に考えなくても、未来は自ずと示されると考える。
事実、樹々は、誰に教わることなく、自ずと空に向かって成長してゆく。それは、樹々にも、「自己実現する力が自然に備わっている」からである。
樹々が持つような、「自然に備わっている自己実現する力」を、人間も持っていてもまったく不思議とは言えないだろう。
しかし、樹々と違って、人間の場合には、各自が過去に蓄積した能力、知識、体験が、今の自分自身を未来に向けて育てはぐくむ肥料となってゆく。
そこが、他の生物と異なっているところである。これが、人間が強く示す個性として実現してゆく。
個性といえば、動物を飼っておられる、失礼、ペットと暮らしておられる方々は、実感されておられるだろうが、ペットもかなり強い個性を持っている。
その個性は、一緒に暮らしておられる家族の人々と暮らす中で身につけた知識、体験が、基礎となっているのです。個性は堆積してゆくのです。