真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

倒産や空洞化はいいものですよね

こんな題名をつけたのですが、やはり、倒産や空洞化をいいものと捉える人はほとんどいないのではないかとは思うのです。
が、私はどちらかと言えば、アマノジャク(天邪鬼)な方なので、倒産や空洞化のいい面(だけ)を述べてみたいです。
とはいっても、やはり、倒産や空洞化が及ぼす悪影響はたくさんあるのは重々承知しています。その部分には目をつぶって、良い面だけを述べます。
日本で、産業の空洞化が叫ばれてもはや久しいです。日本の企業が、中国や東南アジアの方に、主に安い労働力を求めて工場そのものを移転しまった後のがらん堂のことですね。
追記)単に安い労働力だけではなく、そこの市場をも視野に入れている場合も多いように思える。
そうなれば、日本の労働者の働く場が減ってしまうので、空洞化をいいものとはやはり考えられないですね。
ではでは、それがわかりながら、何故、倒産や空洞化の良い面を述べるのかといぶかられるだろうと、独り合点をして次に行きます。
話は変わって、私は、ハイキング(主に低山への山登り)が好きで、山へよく行くのですが、山では樹々(主に杉やヒノキなど)がよく育っています。
しかし、台風や土砂崩れで土がえぐられたり、雷にあったりして、木が倒れていることも多々あります。
そんな時、その周りに苗が沢山育ってきています。樹があるときには、空(太陽)が遮られて、若木や草があまり育たなかったのです。
しかし、樹が倒れることによって、樹冠部分が遮っていた太陽が地面にまで降り注ぐようになり、たくさんの若木や草が成長してくる。
時には、その樹そのものの上に根を張っている苗すらある。そして、倒れた樹は朽ちて、土に帰ってゆき、それによって、新しく来たものの肥やしとなる。
仏教でいう、「生者必滅」、「会者定離」ですね。生あるものは、必ず死ぬ。出会ったものは必ず別れが待っている。これは、生命あるものにかぎらず、例えば、椅子のような物質でも該当する。
これは当事者たちには本当に悲しいことですが、これによって、次のものが成長できるのです。
追記)銀行を舞台にしたテレビドラマ「半澤直樹」が社会現象にまで成りましたね。そこには、倒産の話が出てきますが、銀行も単なる金貸し(利ざや稼ぎ)から、投資(有望な企業の発掘)を主体とする、企業を育てるという意識(企業育成という高い社会性)を強く持ってほしいと思う。つまり、あのドラマはそんな願い(銀行に対する叱咤激励)も含まれているように感じた。
そう考えると、もう65歳になった無名の私に、死が訪れても、それが社会にとって、有意義な出来事と思えて、死を乗り越えられそうに思える。
「新陳代謝」という言葉も思い浮かぶ。新陳代謝とは、「古いものが新しいものに次々と入れ替わる」ことです。
これは、「生命維持に不可欠なものである」。比喩的に、「世代交代を意味する」場合もある。引用from"新陳代謝 - Wikipedia"
あるいは、「革命」。革命とは、「古い政治秩序の破壊と新しい政治秩序の構築をもたらす動態的かつ抜本的な変革」です。引用from"革命 - Wikipedia"
すでに何かが存在する場合には、新しいものを持ち込むときには、古いものの破壊が必定となる。
古いものが取り払われると、必ず、新しいものが立ち現れてくる。ということで、私が何を言おうとしたかをご理解願えたと思うのですが、倒産や工場の空洞化によって、新しいものが生まれ出る余地が生じます。
それまでそこへ差し向けられていた資金が、次の新しいものに振り向けられることでしよう。つまり、太陽が遮られて育たなかつた、新しい苗がすくすく育つ余地が生まれます。
私は、空洞化によって、日本にも、今まで陽が当たらなかった分野(主に文化的な分野)に日がさんざんと差し込んできているように思えるのです。
それまでは、日本の成長を牽引していた太陽のような存在であった家電業界が、今まさに朽ちるように倒れつつあります。すでに倒れてしまった大企業さえある。
ということを考えると、日本でも、産業の世代交代が着実に進んでいると思えるのですが、皆さんはどう感じられますか。