真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

高齢者に、貯金を奨励すべきか、消費を喚起すべきか

経済に関しては完全なる音痴である私が、経済問題を書くことは如何なものかと感じたが、私なりの理解を伝えたいと思う。
それは、最近、堺屋太一氏の、「日本の盛衰」を読んで、自分の過ごしてきた道、日本の経過してきた道を考える切っ掛けを与えられたからである。
私にとって、この著書は、久々ぶりの名著である。これを読むまでは、日本について本当に知らなかったなあと実感させられた。
それと、堺屋氏の読みの深さ、読みの鋭さ、抽象力の高さ、俯瞰能力の高さに、本当に敬服した。
さて、話を本題に入ることとして、借金は、借金ではない、返済を迫られるまでは。では、永久に返済を迫られないならば、それは借金といえるだろうか。
アメリカはそう悟ったように思える。つまり、財政赤字は、返済を迫られない限り、無視してもよいと。とはいえ、当然利子は払わねばならないが。
だが、残念ながら、アメリカの財政赤字は、返済を迫られる可能性が高い。それにひきかえ、日本の見事に積み上がった財政赤字は、返済を迫られる可能性が極めて低い。
それは、高齢者が死ぬまで使う予定のない貯金を原資にしているからである。日本の高齢者はとにかく貯金が大好きである、たぶん世界一の貯金大好き人間。
話の流れをかえるが、例えば、日本が一年間に必要なお金を500兆円だと仮定する。だが、国内には400兆円しか流通していないならば、一人ひとりが使えるお金が不足して不景気になる。
逆に、国内には600兆円ものお金が流通したらどうなるか。不要なお金(100兆円)は、不動産と株など、不要不急なものに流れる。これがバブルである。
もし、日本が一年間に必要なお金を500兆円だとして、高齢化が進んで、使うお金が減ってしまえば、例えば、400兆円でも人々にとって不足感がなくなれば、不景気だといえるだろうか。つまり、不景気とは、多分に心理的なものである。
必要なお金が500兆円から400兆円になれば、この場合には、日本の市場規模が縮小したといえる。事実、どんどん少子高齢化している。その可能性は高い。
金融緩和が効果を上げるのは、日本に流通するお金が、必要額より少ない場合である。財政出動しても、効果が続かないのは、残念ながら、流通する額に不足感がないからである。
つまり、普段日常品を買い物していた店で貯めたポイントで、ワインを買えたが、それは、日常で必要としていたのではないけど、ポイントが有ったからたまたま買っただけである。
ワインは無ければないで済ませる商品である、その人にとっては。つまり、バブル部分である。
日本人は、特に高齢者は、日常で本当に必要としている品物だけを買う。もうほとんどの必要品は揃っている。後は、壊れたものを買い換えるだけである。変化の少ない日常に不満をあまり感じていない。
私は、この高齢者層に、非日常製品も買うように、時に非日常を楽しむように勧めてほしいと思う。政府や民間企業などが。
例えば、旅行、食べる楽しみ、娯楽、趣味の創造、などなど。最近、高級列車がどんどん走るようになったが、それと関係がありそうである。
不要なほどお金を持っている高齢者は、子どもたちにどんどん生前贈与をするように勧めてほしい。そうすれば、子供や孫は今よりももっと製品が買えるようになる。
つまり、お金は、血液である。循環しなければ意味が無い。タンスに眠っているお金は、お金ではない。ただの紙切れにすぎない。使ってこそお金は生きる。
逆に、単なる紙切れでも、例えば、偽物の紙幣でも、誰も疑うことなく、使い続けられれば、それはもう立派な紙幣として機能している。
しかし、しかしである、高齢者が生前にお金を使ったら使ったで、財政赤字はとても不安定になる。つまり、返済を迫られるから。
高齢者に、貯金を奨励すべきか、消費を喚起すべきなのか。貯金か消費か、それが問題である。