真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

空間軸と時間軸とで日本を眺めると...

ニホンザルの社会は、ボスザルとメスザル子ザルと若者ザルとで構成されている、典型的な階級社会である。
ボスザルが中央に鎮座し、その周りにメスザル子ザルが序列に従って取り囲み、周辺に若者ザルが遠巻きにする。
日本では、人間も中高年者が中央で実権を持ち、若者たちが周辺に並ぶ。
これは空間配置である。しかし、この状況を時間軸で見れば、ある意味逆転する。
というのは、中高年者が現在に位置すると見なすならば、若者たちは未来に居並ぶ。
逆に、若者たちを現在に位置すると見立てるならば、中高年者は過去に住まう。
50歳の中年社会人から見れば、15歳の若者は、35年も未来に住んでいることになる。
例えば、50歳の中年社会人が20年前からコンピュータを使い始めたとするならば、15歳の若者はパソコンを抱えて生まれたことになる。
次には日本とヨーロッパの関係を見てみると、
日本から見れば、ヨーロッパは西に位置する。が、ヨーロッパから見れば、日本は東に位置する。
しかし、それを時間軸で見れば、日本が現在とすれば、ヨーロッパは未来に位置する。
逆に、ヨーロッパを現在と見立てるならば、日本は過去に位置する。
日本は、はるか昔から、大きな存在(以前は中国)の後ろを、大きな存在の背中を見ながら進んできた。
中国が崩壊してから後は、ヨーロッパやアメリカの背中を見ながら後をついて行った。
真面目で熱心な日本が世界一になるかなと思った時、日本はコケた、ずっこけた。
心理学的に見るならば、たぶん、先頭恐怖症が日本の中に深くしっかりと根を張っているからなのだろう。
私には、社長の後からかばんを胸にしっかり抱きしめながら後をゆく番頭を思い浮かべる。
日本はこのまま自立することなき永遠の若者にすぎないのだろうか。
でも、その後姿は中高年の番頭にしか見えないのだが。