真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

成長から成熟へ、上昇から広がりへ

大抵の場合には、成長がまず中心になって起こり、それが緩やかになった後に、成熟へと進んでゆく。
成長は、主に上昇であり、成熟は主に広がりである。
成長は、数学的に言えば、X軸であり、成熟はY軸である。
成長は、創業者型であり、成熟は、後継者型である。
しかし、創業者型ではもはや成長できなくなっても、実際には、後継者型に引き継がれないで、創業者がそのまま舵取りをして、事業が傾くことも多い。
成長は、強気一本槍の織田信長型であり、成熟は広い見識が必要な徳川家康型である。
日本の歴史は、この時には、本当に見事な舵取りをしたと感嘆する。織田信長が長生きしていれば、日本の歴史は今とは大きく変わっていただろう。
私自身は、明智光秀が歴史の流れを変える上でなくてはならない役割だったのだと思える。
成長は、(数字で表現できるような)量的拡大であり、成熟は、数字では表せない質的変貌である。
樹は、まずは成長するが、ある高さでそれが止まり、次は枝を横へと伸ばす。といっても、成長の間も枝は伸ばしているが、幹が伸びるほうが優先される。
植木職人は、造形美を考えて、成長と成熟とを自在に操る。杉の植林では成長がどこまでも優先される。
注)成熟を重視すべき、リンゴやみかんなどの果物の成る木は、高さを犠牲にしてでも、横への広がりに重きをなす。
人間も、中学2年頃までは、肉体的に成長するが、それ以降は、主に頭脳的な成熟(内的充実)が中心になってゆく。同時に心的な成熟が中心となる。
昔は、その頃に、元服していた。つまり、一人前として扱われた。
現代は、高度になっている分、成人までには、頭脳的、心的成熟のための期間が更に必要になっているが。
家の建築で言えば、棟上げまでが成長であり、それ以降は成熟といえるだろう。
果物でも、最初は大きくなる(成長する)ことが中心であり、ある程度の大きさになれば、質的変貌を遂げる方向へと進む。
往々にして、成長しすぎた果物は味的にはまずいことが多い。成長と成熟のバランスが大切になる。
コンピュータを例に取る。コンピュータでは、発明された頃から、大型を小型化、低性能を高性能化、高価格を低価格化へという面(量的変化)に的を絞って開発されていった。
その方向に従って機器自体がかなり成長すると、中心は、ソフト(質的変化)へと移っていった。
もちろん、コンピュータの場合、機器だけではただの箱なので、ソフトも同時に開発されていったが、比重的にはある程度までは機器に大きく重きが置かれていた。
だが、次第に、開発余地が狭まると、機器開発からソフトへと軸足が移っていった。その後、ネットが誕生して、やがてそこが主流を占めるようになっていった。
このように、コンピュータは、機器自体の成長から、ソフトへと更にはネットへと質的変貌を遂げていった。
これは人間の成長で言えば、機器は肉体、ソフトは頭脳・心といえよう。
注)これは、投入できるエネルギー(資源/人材などなど)が限定されているからだと思える。
工業化社会の成長は、産業革命によって始まったが、方向的には、ずっと一貫して高度工業化社会へとどんどんと成長していった。
だが、この工業化社会の成長は、リーマンショックによって、終焉した、天井を打った。
そう考える理由は、「産業発展のための資本」から「資本のための産業発展」へと、目的と手段が入れ替わった、変貌した。
リーマン・ショックは、単純化して言えば、バブル(金ころがしの)崩壊である。
注)行き先をなくした、見失った資本がヘビのようにとぐろを巻いて自暴自爆(しぼうじばく)した姿。
要するに、数多くの大きな資本投資先の不在が、金融資本主義を生み、そして、バブル(金ころがしの)を炸裂させた。
堺屋太一氏は、工業化社会の後に来るものは、知価社会だという。知価社会とは、人間が中心に来る社会である。
工業化社会では、機械が中心に位置して、その周りを人間が取り囲んでいた。ある意味、機械が人間を使っていた。
知価社会では、人間が中心にいて、機械を手足のように使う社会である。人間復活の社会である。
だから、機械は、人間が手足で扱える、携帯できる、操作できる、大きさが求められるだろう。
その流れは、スマホタブレット、などで実現されている。その流れはますます広がってゆくだろう。
そもそも、工業化社会を生み出した産業革命の前には、ルネサンスが生まれている。
ルネサンスとは、宗教に支配された人間が、宗教から脱皮するための活動であった。
注1)宗教を科学技術と読み替えると、現在にも通用するかもしれない。
注2)宗教に抑圧された人々の爆発がルネサンスだと考えるとわかりやすい。岡本太郎が、芸術は爆発だといった。
知価社会とは、産業(工業/物質)中心から、文化(ソフト/知)中心へと質的変貌を遂げてくることから生まれ出てくる。
機械に使われる時代から、機械を使う、人間復活の時代への変貌である。
3.11によって、機械に使われる恐ろしさを思い知ったという体験を持った。
自民党は本当に時代を読めない組織である。もしかすれば、読む気がないのかもしれないが。
注)「ルネサンス」とは、「14世紀から16世紀にかけて,イタリアをはじめとして,ヨーロッパ各地に生起した,大規模な文化的活動の総称。哲学,文献学,キリスト教学,美術,建築,音楽,演劇,文学,言語学,歴史叙述,政治論,科学,技術などそれぞれの文化領域において,顕著な発展がしるされた」。引用from"kotobank"
もしかすれば、日本発のルネサンス時代が到来しつつあるのかも。
参考)"日本の第三次世界進出" from 真 夢人 日記