真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

経済成長ではなく、若者文化の開花

前回([2014/05/21]真夢人 日記)、子どもの教育を重視するならば、父親は家庭に返ろうということを、インターネットの特性に絡めて書いた。
高度成長期にがむしゃらに、企業戦士として働いた結果、家庭は崩壊した。それを見ていた、体験した子供世代は、"がむしゃら"に対して嫌悪感を抱いた。
注)「白け」(しらけ世代 - Wikipedia)「三無主義」(三無主義)
その家庭崩壊は、社会にさまざまな歪とし表現されていった。まずは弱者にそれが端的に表面化する。
心理学者の日本の巨匠、ユング派の河合隼雄氏、フロイト派の小此木啓吾氏が、日本に警告を発し続けた。
参考)河合隼雄氏は、前回にちらっと紹介した。「場の倫理」に抗する「個の倫理」――『母性社会日本の病理』 河合 隼雄 | 考えるための書評集
そんなことに耳を傾けることなく、企業戦士は、家庭に豊かさを、国に豊かさをと目指して、がむしゃらに働き続けた。
その甲斐あって、日本は世界二位にまで上り詰めた。だが、その陰で、子どもたちは白けていた。その訳は、残念ながら、親世代は、物質的豊かさは獲得したが、心の豊かさを家庭にもたらすことはできなかった。
それはもっぱら母親に託された。母親は優しさを主に担当する。父親は厳しさ強さを主に担当する。
参考1)近ごろの若者は当事者意識がなく、意志薄弱で逃げてばかりいて、いつまでも「お客さま」でいる件について: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
参考2)モラトリアム - Wikipedia
そこから引用。「小此木啓吾の『モラトリアム人間の時代』(1978年(昭和53年))等の影響で、社会的に認められた期間を徒過したにもかかわらず猶予を求める状態を指して否定的意味で用いられることが多い」
参考3)小此木啓吾の『ホテル家族(hotel family)』(著書が『家庭のない家族の時代(1983)』の中で用いた用語)
そこから引用。「ホテル家族には、外の世界で働いたり人付き合いをしたり勉強したりして疲れ切った家族が、『家庭内での完全な癒し・安らぎ・励まし・わがまま(決まりや常識、遠慮のないやりたい放題にできる自由)』を求めるといった側面もある。」
不足による辛さを体験している発展途上国は、昭和時代の日本のように、物質的豊かさを目指して、懸命に前進している。
その懸命さを今の若者はなくしたと日本の大人世代は嘆く。
子供を今のように育てたのは、企業戦士として働いた大人世代だということに気づくべきである。
自分達で育てておきながら、その結果を他人ごとのように嘆く大人には呆れるが。
子供世代は、親たちから得られなかった、その心の豊かさを求めて、独自世界を築き始めた。それはアンチとして育っていったが、それが今や認知された文化という形で花開き始めている。
それは、まずマンガから始まった。ゲームから始まった。そこから、更には、日本文化、伝統文化にまで、世界に認知され始めている。
子供の心の豊かさの基礎を築き上げるのは、家庭の役割である。心の豊かさの基礎は感情(喜怒哀楽)である。その上に、情緒(真善美)が積み上がってゆく。
人間の認知構造は階層構造になっている。岩盤的基礎部分は感覚(快不快がスタート)であり、それを元にして感情が形成され、その感情が知性を育む。そして、最後に理性が花開く。
その感覚と感情の基礎部分は、家庭の中で培われていくべきである。それを元に、学校で知性が、理性が育てられる。
我が家は、共働き家庭だったので、保育所が感覚と感情の基礎部分の形成に大きく寄与していただいた。感謝感激。
感覚、感情、知性、理性の裾野の広がりには、多様な個性を持つ集団生活、集団行動内での体験が必須である。
感性も感情も芽生えぬ早咲きの知性が、肥大化した知性が、他人を食い物にする巧妙な詐欺を平気で働く。彼らには他人の喜怒哀楽が視野にはいらない。そもそも自分の中にすら喜怒哀楽が存在しない。
幸せとは、感覚、感情、知性、理性が、豊かに働くという充実した体験をした時に感じる心境である。
現代はこの体験を求める人々が大きな存在となっている。この体験が現代という時代のキーワードでもある。未知の場所への旅がこの体験を提供することが多い。
バブルの崩壊によって、経済成長という、それまでの方向を見失った日本が、最近ようやく新しい方向性を見出し始めている。それは経済成長ではなく、若者文化の開花であった。
参考)海外著作権料:NARUTOなどアニメ活躍 収入6割増 - 毎日新聞(2014/05/31)
文化は、このような体験を提供する場である。その中で、若者文化が地上に芽吹き始めたのは、バブルの崩壊直後からである。行き場を見失ったエネルギー(お金、人材、興味、メデイアなど)がそちらに流れ込んだ。
その先駆けをもたらしたのは、手塚治虫少年雑誌であるが。私も少年雑誌の発売が待ちきれなかった一人であった。
それ(若者文化)が一段落したところで、あらたに、大人文化、伝統文化という、日本の独自文化全般が、世界に見直されつつある。
残念ながら、安倍首相は、財界の方向にしか向いてないので、その声はまったくもって届かないが。