真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

安定か不安定か、当知行と不知行

中世(平氏政権の成立(1160年代、平安時代末期)から、鎌倉時代及び室町時代を挟んで、安土桃山時代(戦国時代末期)まで)では、「当知行」とか「不知行」という言葉(概念)があった。
「当知行」とは、「実際の権利の証明の有無を問わず、不動産などの物権や職に伴う得分の権利を現実的に占有・行使可能な状態にあること、またその占有・行使者」を意味する。
それに対して、「不知行」とは、「権利を占有・行使できない状態あるいはそうした状況にある者」を意味する。
例えば、島根県竹島が、日本の領土であったとしても、韓国によって、実効支配されているので、竹島は韓国の当知行である。
逆から言えば、竹島は日本にとって不知行である。
突然にこんな話を持ちだしたが、私は、この「当知行」、「不知行」をgaccoの講座、「中世の自由と平等」から知った。その言葉が頭のなかに強く焼き付いている。
その結果、その視点から世の中を見る試みをしてみたかった。
ということであらためて話を戻すが、中世は、支配者の権力は、「当知行」を黙認するしかないほどの支配力であった。
つまり、裁判はする(つまり、当知行とか不知行であるとかの判定はする)が、土地の正当な権利者を守るほどの力はなかった。
とどの詰まり、警察力(警察権力:正義の実行)が機能していなかった。それよりも、警察力が存在したかも不明である。
つまり、自分の土地は自分で守りなさいということであった。という意味で自由であった。つまり、奪う自由(他人の命さえ)が存在した。
そして、実力次第で他人の権利を奪う自由を平等に持ち得た。という意味で、中世には自由も平等も存在した。
話は大きく変わるが、脳について、内側前頭前野は、短期的な利益よりも長期的な利益を考えることに関与している。
つまり、その前頭前野には、より報酬を得ることのできる長期的に満足のいく結果を得るために、短期的な満足感を先送りにするという選択肢を制御する能力を持っている。
(近世からの)日本人の思考には、誠実に振舞うことは、他人を欺き、短期的な利益を得る機会は逃すかも知れないが、長期的にはもっと貴重なもの(信頼)を手に入れることができるという確信がある。
日本人が、震災や大災害でも、略奪や商店を襲うという行為がほとんどないのはそういう理由からである。逆から言えば、略奪や襲撃をすれば、その人々は他人からの信頼を失うことになる。
そんな時に脳内で起こっていることは、セロトニン機能減退時には線条体背側部の長期報酬予測に関わる脳活動が抑制される。
逆に、セロトニン機能亢進時には線条体腹側部の短期報酬予測に関わる脳活動が抑制される。
注)「セロトニン」は、「ドーパミンノルアドレナリンなどの感情的な情報をコントロールし、精神を安定させる働きがある」
別の側面から言えば、長期的利得と短期的利得とでは、短期的利得(即金)を選ぶ人は、辺縁系が活発化し、長期的利得を選ぶ人は、前頭前野頭頂葉が活性化する。
これらのことを考えれば、国内が、あるいは国際社会が、安定することの重要性に思い至る。
不安定なときには、つまり、先が見通せない時には、パニック時には、短期目標を選びがちである。
権利がないのに力づくで奪い取る当知行、権利があっても行使できない不知行。実力次第だということは、実力がない者にとっては厳しい試練が待っている。
そして最近特に思い当たるのが、中国やロシアは、当知行を実践しているということである。
変化をもたらすには、安定を不安定化させる必要がある。変化は分岐点である。上昇するか、下降するかの。
遅れてきた上昇志向の強い中国やロシアにとっては、安定(固定)は、邪魔な、不都合な状況である、上昇の妨げにしかならない。
それに対して、安定は、現状維持、同じことがいつでもどこでも通用するという安心がある。安心とは信頼である。信頼の中で初めて、長期的視野に立って行動ができる。
日本は長期的視野にたって行動ができる国である。アメリカに世界の警察権力を期待する安倍首相にとっては、集団的自衛権の明記は是非とも必要な最重要課題である。
でも、安倍首相が期待するように、アメリカは世界の警察権力を行使するだろうか。ウクライナ事件が良い見本だと思えるのだが。世界は中世(権力の不安定)化しているのでは。
そんなご利益があるかどうかわからないお守りを手に入れるために、集団的自衛権の行使を明記するのは、果たして、長期的利得からか、はたまた短期的利得にすぎないのか。