真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

共有主義が徐々に浸透してきている

私は、ネット上で無料公開されている特別大学講座を受講している。でも、何故、授業を無料公開するのだろうかと、いぶかった。それで、今日はそれについて考えてみた。
以前(2014/03/05)、私は、このブログで、
「資本主義は共有主義に遷移しつつある」という記事を書いた。
私は、その中で、「共有主義を私なりに定義すると、「生産手段や生産資源を社会的共有財産とする制度」と、特に、「多くの人々が少しずつ持ち寄ったものを、生産手段や生産資源として社会的共有財産とする制度」とする」、と述べた。
それよりも前(2010/05/18)に、このブログで、「共存主義、共有主義、共産主義が可能な時代に突入した」という記事も書いた。
そこでは、「インフラが整備された成熟社会では、共存主義、共有主義、共産主義、互助主義は実践実行しやすい」、と述べた。
さらにそれよりも前(2008/01/08)に、このブログで、「独占所有から共有化へ」という記事も書いた。その中から引用。
「親は説得する。「あなたの物を貸してあげれば、あの子の物を貸してもらえるわよ」。かくて、子供は、「自分の物を貸せば、他人の物を貸してもらえる」と知る。
ここに五人の子供が寄れば、互いが一つづつ所有すれば、残り四つも使える。しかるに、独占所有ならば、相変わらず、一つだけである。
かくて、賢者は、他人に使わせない独占所有から、誰でも使える共有化へと進む。時代は徐々に共有化へと進んでいる」
各自が、自分の生産物の一部を共有財産として、社会の中に、無料で放り込めば、それがあたかも、社会的インフラとして、社会的資源として、機能する。
無料にすれば、各自の生活は成り立つのだろうか。その答えとして、定着しつつあるのが、大部分は無料だけれども、特別機能に関しては有料にしますよ、という思想である。
上で書いたように、私は、最近、日本で始まった、大学教育レベルの無料講座を聴講している。大学にとってこのメリットは何なのだろうか。
その他のサービスでも言えることだが、まずは、認知度を高めるために無料で始める。そこに、高いレベルの機能を組み込んで、その部分については有料にする。
新聞についても、ネットに記事を流すが、価値の高いと判断されたものについては、特別会員に登録したものに限定するとか、有料で購読するかというコースも設ける。
私は、evernoteというネット上のサービスを利用しているが、これもそれと同じ仕組みを持つ。
無料版は機能制限や容量制限などの何らか制限をかけられる。すると、深く利用したいものは、有料版を選ぶ。たとえ、その数が数分の一であっても、採算がとれる。
と言うのは、無料版利用者からも、さまざまな形で、フィードバック(情報)が得られる。そのようなデータは、貴重な財産になる。
サービスの提供によって得られる(副次的なとも言える)情報、フィードバック情報などが、二次利用、三次利用されて、大きな利益を生むことも多くなっている。
そうなれば、サービスを無料にすることによって、多くの利用者が集まり、そこからさまざまなデータが手に入る。このデータの方を得るために、サービスを提供している場合さえも生じている。
あるいは、無料版利用者には広告を掲載するなどで、いく分かは見返りが得られる。直接的利益のみを追求する必要もなくなってきている場合も見受けられる。