真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

物質重視から心、精神優位への変遷

私は、今まで、「共有主義」について、このブログで、以下のような記事を書いてきた。
1)「自分の物を貸せば、他人の物を貸してもらえる」(2014/07/10)
2)「ネットとリアルの激突は、超国家と国家の衝突」(2014/04/29)
3)「資本主義は共有主義に遷移しつつある」(2014/03/05)
4)「共存主義、共有主義、共産主義が可能な時代に突入した」(2010/05/18)
5)「攻撃性(男性優位)社会から協調性(女性優位)社会へ」(2009/06/19)
6)「人間は大人になっても遊べる唯一の生き物」(2009/06/18)
7)「ネット界は独自通貨を流通させてはどうか」(2009/06/12)
8)「独占所有から共有化へ」(2008/01/08)
私が、このような記事を書いてきたのは、資本主義に変わる、新しい時代の主義は、共有主義だと感じるからである。
資本主義から共有主義への変遷は、攻撃性(男性優位)社会から協調性(女性優位)社会へ変遷でもある。
ところで、「Sharism(共有主義) - マルコ式ネット白書」の中で、
「物質に価値を見出した時代では、共有という発想は持ちにくく、占有が基本でした。あの人が持っているものが欲しいという人間的欲求にこたえるべく、多くのものが生み出されそして消費されていきました。」という表現に出会った。
資本主義から共有主義への変遷は、物質優位、物質重視から心、精神優位への変遷でもある。
共有主義の定義は、私が、「共有主義とは - はてなキーワード」の中で示した、「みんなが少しずつ持ち寄って、大きなものを作り上げ、それを共有財産として、みんなで自由に使い合う」しか、残念ながら、見当たらない。
この共有主義は、ネットの普及によって、どんどん広まってゆくし、実際に広まりつつある。
なお、共有主義と、共産主義の最大の違いは、共産主義が、トップダウン型であり、共有主義が、ボトムアップ型であるということだ。
共産主義を信奉する方からは、お叱りを受けるかもしれないが、歴史的事実からの私個人の感想である。
共産主義は、資本主義の成熟後に、果実が自然に、地面に落ちて、生まれ出るものであるのだろう。しかし、人々の心が高度になった今や、物質に重心を置く共産主義は、不向きである。
参考資料)「社会共有主義は知的に進化した資本主義かもね。」: 「ぽらん日記 〜雨宮農園の日常〜」
余談だが、私は、大阪城公園で憩いながら、豊臣秀吉などの(戦国大名などの)存在したという歴史的経過を経たことで、このような広大な公園が存在するのだと感じた。
資本主義が未熟な段階での共産主義への突入が、ことごとくの失敗をもたらしたのではないか。
マルクスがもっともっと後に生まれていれば、彼の資本論の中身もずいぶんと違ったものになっていただろうに。
注)「資本論」は、1867年に第1部が初めて刊行され、1885年に第2部が、1894年に第3部が公刊された(今から120年前[明治27年]に完成)。
共産主義に心(精神)を入れ込むと、共有主義になるのかもしれない。自発的持ち寄り共産主義
トップには、一人のあるいは少数者の権力者が存在し、ボトムには多数の個々の個人が存在する。
共有主義は、個々の個人が、自由意志によって、積み上げて形成することによって成立する。
資本主義は、巨大な資本を元に、さまざまなものを作り、利潤の追求を目的として、活動する。
資本主義は、全てのものを、お金に変える力を持っている。お金が全ての尺度となった。ついには、金融資本主義にまで行き着いた。
「商業資本主義」→「産業資本主義」→「金融資本主義」と規模を拡大させ内容を変化させてきた資本主義はついに「超金融資本主義」という最終段階 に突入した」
注)上記の表現は、『今の資本主義は「投機マネー」が「実体経済」を破壊する 「超金融資本主義」! - 杉並からの情報発信です』から引用。
これへの解決方法としては、お金の無価値化という方向がある。その一つが無料化である。
別の一つがビットコインなどの無国籍貨幣である。国が発行する貨幣から民間人が発行する貨幣への変遷。
これの背景にはドルへの不安(デフォルト化)がありそう。ドルが単なる紙切れに成り果てるかも。企業の倒産で株券が紙切れになるように。
参考資料)「このままでいくと資本主義は滅びるのか? 世界経済の破綻は確実なのか?」
日本では、バブル(金融資本主義)の崩壊が、資本主義から共有主義(知価社会by堺屋太一)へと変遷させていった。
共有主義は、共有財産である、基盤の上で、自由に、活動し、体験し、創造することを、最も大切なものと見る。
知価社会では、資本主義の物質的生産活動から、活動、体験、創造が知価を巡って展開する。
注)「知価」とは、知恵と価値を合わせた造語。「知価社会」とは、知恵に値段が付き、それが消費されていく社会」。
これは、CGM(onsumer Generated Media)であり、インターネットなどを活用して消費者が内容を生成していくメディア、つまり、個人の情報発信をデータベース化、メディア化したWebサイトで、活動することである。
Googleの地図やYoutubeは、CGMの基盤である。ここに日々すさまじいデータ、情報が積み上げられている。
私は、今、MOOCの日本版、gaccoで、大学の講座を視聴している。今、そこでは、オープンエデュケーションというテーマの講座が開かれている。
インターネットの中には、さまざまな、基盤が新しく生まれでて、そこに日々データ、情報が積み上げられている。なんとすばらしい時代なんだろう。