真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

しまった、ネットへの道を塞がれてしまった

私は、スマホを持っているが、通信事業者(ドコモとかauとか)と契約せずに、wifiだけで使っている。スマホはネット視聴専用である。
参考)スマホは、4.9インチの203SHアクオスフォン ダブルエックスである。定価9万円弱を、アマゾンで、14000円弱で買った。あまりにも安すぎる。こんなにも高性能なのに。
私は、情報機器としては、デスクトップパソコンと、タブレット三枚と、スマホを持っている。それらを、すべて、無線型携帯ルーター一台を介してネットにつなげている。
残念ながら、wifiでは、デスクトップパソコンは快適には動いてはくれない。でも、イライラが募るほどではない、微妙な位置にいてる。
という状況説明(前振り)をしたが、この月曜日(2014/8/11)に、ルーターが突如ストライキを起こしてしまった。
起動してくれないのだ。Windowsで言えば、ロゴが出たまま固まっている状態。リセットを押してもだめ。電源を入れ直してもだめ。こんこんとノックしてもだめ。
ダメダメづくしである。
とにかく、まずは回線業者に電話をしなければと思った。が、私のスマホは、wifi経由での通話しかできない、IP電話(回線)である。
家の固定電話はもうとっくに解約してしまった。固定電話には、セールスの電話しかかかってこない。
だから、紙の電話帳もない。回線業者の電話番号もネットの中にある。ネットに入り込まねば何もできない。説明書などは、スキャンして、ネットに放り込み、紙は捨ててしまった。
もう拾う紙はない。その日その時には、家の中には私一人である。家族のスマホも当てに出来なかった。
私は、効率を考えて、できるかぎり、情報はネットに放り込んである。そして、一元管理できるようにと考えてあった。内心ほくそ笑んでいた。ネットにつながっている限りそれは便利であった。
ところが、ところがである、そのネットに入り込めなければ、私は、無人島に流された、ロビンソン・クルーソーになってしまう。ネット難民になってしまう。
もはや、ネットへの入り口にただ呆然とたたずむ人となってしまった。
考えあぐねて、実はすねて、数時間ほっておくことにした。そして、頭が冷静になった頃に、あらためて、挑戦してみた。
結果は何と、開けゴマの一言で開いてしまった。実際には、電源ボタンを押すと、すんなり起動してしまった。
よくよく考えると、原因は、フリーズする前に、有線でつないでみて、スピード比べをしたかららしい。
無線方式でつなぐと、その前に行った有線方式で起動しようとしたかららしい。その結果、先へ進めずに途中でフリーズとなったらしい。
その後、時間を置いて、あらためて、電源ボタンを押し、リセットをかけると、無線方式ですんなりと起動した。
参考)起動はつながる段階手前まで進んでいた。それで、有線方式から無線方式に切り替えるために、リセットをかけると、再起動して、無線方式で最後まで完了して無事につながった。
最終的には、大事には至らずに済んだ。泣かずに済んだ。だが、だが、私に恐怖心をしっかり植えこんで、嵐は過ぎ去った。
効率一辺倒は、不測の事態には、真逆の大きな障害として立ちはだかってしまう。
あらためて、冗長性という言葉が身にしみた。無駄はこんな時のためにあるのだった。多様性は全滅を防いでくれる。
参考)私は以前(2007/03/09)、「無欲の欲、無用の用、無知の知」という記事を書いているというのに。
もしネットに接続できない事態にはどう対処するか、の処方箋が絶対に必要だと痛感した。
参考)緊急避難的な処方箋としては、コンビニなどの店舗の公共的wifiを使えるような手続きをしておく。これが最もあり得る、可能性の高い方法だろうか。
企業などが、離れた場所での大きな地震によって、部品や人手や交通手段の手配がつかずに、工場自体が無傷で被災していないのに、操業が止まったしまうという事態を何度も見ていて、私はそれを批判的に書いた記憶もあるのに。
自分は他人ごとのように眺めていたということだ、とあらためて実感し、当事者になるまでは、人間というものは楽観的になれるのだと、つくづく納得した。