真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

一人と一人ぼっちとルールと

「一人」と「一人ぼっち」とは何が違うのだろうか。「一人ぼっち」は俗語では「ぼっち」とも表現されるが、まずは辞典でそれらの間にある違いを調べてみる。
「一人ぼっち」とは、「仲間や頼る人などがいなくて、ただひとりであること」(引用from国語辞書 - goo辞書)である。
それに対して、「一人」とは、「1)人数が1であること。一個の人。いちにん。2)仲間・相手がいなくて、その人だけであること。」(同上)
残念ながら、私には、この説明からでは、違いがいまいちよくわからない。とにかく、「一人」とは、人数にだけ言及する言い方で、「一人ぼっち」とは、「仲間・相手がいない」という部分を含めると解釈することにする。
ということで、後は私の勝手な独自解釈。
「一人ぼっち」には、寂しい、悲しい、恥ずかしなどの感情が伴う。
ところが、「一人」には、それらの感情が不在である。
ではでは、感情は何故生じるのだろうか。感情は、基準、ルールなどを満たしていない、逸脱しているという気持ちである。
注)下への逸脱は、マイナス感情が芽生え、上への逸脱にはプラス感情が湧き上がる。
「仲間・相手がいて当然」という前提(基準、ルール)ならば、「仲間・相手がいない」のは、寂しい、悲しい、恥ずかしなどの感情が生まれてくる。
例えば、昼ごはんを一人で食べるのは、友だちがいないからだ、と、他人から判断されるのが辛い(基準、ルールなどを満たしていない自分がいる)ので、便所飯と相成る。
ここには、友だちがいるのが当たり前、という基準が、他人にも、自分にもあり、それを満たしていないという思いが、感情を生み出す。
注)自分自身の(自尊心を揺るがさないほどに)確固たる基準を形成できていない間は、社会的基準を取り入れて、それに右往左往してしまうのが青春時代である。
別の例で言えば、上司が、親が、部下の、こどもの行為が、自分の立てる基準を満たさない、逸脱している、と判断することから、怒りが、イライラが生じてくる。
ところが、「一人」には、そういう基準(仲間・相手がいて当然)を持たない。そういう基準を持たないがゆえにそういう思いが生じない。
つまり、個人主義なのである。個人主義とは、それぞれ一人一人、自分の基準、ルールを持っていて、しかも、各人が他人の基準、ルールを尊重するという考えである。
個人主義には、自分の基準(ルール)を持つとともに、他人の基準(ルール)をも尊重するという両輪で成り立つ。
注)個人主義の「一人」も、実は、自分の基準(ルール)を持つが、「一人であれば、束縛がなくて自由だ」という判断(基準)があるので、一人という状況は、自分の基準(ルール)を満たしているので、感情が芽生えてこない。
とはいっても、個人主義は、その名の通り、どちらかと言えば、本音では、自分の基準、ルールを優先させるが。
であっても、人は一人では生きられない。集団を作らざるをえない。だけれども、各人がそれぞれ違うルールのままでは、共同できない。
そこで、個人主義の欧米では、契約というものを介する。契約とは、行動するときの判断基準である。
その契約のもとで、共同する。だから、欧米では、個人の基準と、集団の契約のどちらの下で今動いているのがが問題となることも多い。
注)個人の基準と、集団の契約とを峻別する意味から、プライバシーという概念が極めて強い。個人の場を強く守る意識が働く。
だから、欧米では、多くは、個人の基準を出し合った後、集団の契約のもとで動くと、決断した時点で、個人基準と契約との切り替えが行われる。
日本では、事前の根回し、事前のすり合わせが行われて、会議ではすでに、集団の契約はもう用意されてある。あくまで個人(の基準、ルール)を前面(公の場)に出さない方式を採用する。
日本は、ずっとずっと集団主義の国なので、契約(をする)という概念が弱い。もともと、社会には、厳然とした基準、ルールがあるので、それを受け入れるかどうかだけである。
参考)「署名したら、それは契約」from(真 夢人 日記)
だから、組織に何かの不祥事があった場合でも、個人が責任を取らされるのを極力避ける。組織の存続のためにトカゲの尻尾(なんぼでも代わりが利く部品)切りはするが。
だから、日本では、集団の中に入るかどうかのイニシエーション(入門儀式)が、あるいは、集団を継続する、再確認する儀式が、たくさんある。
祭りはその機能を果たしている。日本で祭りが多いのはそういう理由でもある。式が多いのも派手なのもそういう所以をもつ。
欧米では、神とも契約のもとに成り立つ。神と契約したものだけが、天国の入口をくぐることができる。
あらためて言うと、「一人」には、個人主義という考えが組み込まれている。他人や社会の基準、ルールを尊重するけれども、自分の基準、ルールも尊重するという姿勢がある。
それらは、それらの使い分けは、TPOで判断する。
あるいは、仏教では融通無碍(行動や考えが何の障害もなく、自由で伸び伸びしていること)という。
基準、ルールに縛られれば、感情に縛られる。基準、ルールをTPOで使い分ければ、融通無碍が得られる。だけれども、それを得るには、極めて高いところからの無垢(囚われのない)の目線が必須である。
部分最適(個人のルール)同士のぶつかり合いではなく、全体最適(全員を納得させるルール)を求めて、その解を見いだせる能力が、融通無碍である。

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