真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

私は、教育=愛情だという結論に達した。

私は、このブログ内で、前回(2014/09/05)、「愛情とはどんなものなのだろうか」、という記事を書いた。
そこから引用。「相手を、プラスへ向けさせる愛情の示し方は、相手の素質・能力を最大限に発揮して、相手が成長・発展することを願って、関心を向けながら、下支えする」ことを愛情だと述べた。
教育の目標も、相手の素質・能力を最大限に発揮させるような方向へと指導することであろう。
参考)「ある人間を望ましい姿に変化させるために、身心両面にわたって、意図的、計画的に働きかけること。知識の啓発、技能の教授、人間性の涵養(かんよう)などを図り、その人のもつ能力を伸ばそうと試みること」from"国語辞書 - goo辞書"
途上国にあっては、過去の知識や技術を身につけさせることが、教育の最大の目標となろうが、先進国にあっては、その上に、素質・能力を最大限に発揮させることが、必須である。そこまで進まねば先進国を維持できない。
国も全てが同じ発達段階にあるのではなく、国によって、地域によって異なる。人間も発達段階がそれぞれ個人によって異なる。その発達段階を上へと引き上げるのが、教育=愛情だと言える。
別の言い方をすれば、素質・能力を持つといえども、それは潜在的可能性の段階であり、そこに具体的体験をさせることで、顕在化する。この潜在的可能性を顕在化させるのが、教育=愛情である。
例えば、人には言語能力を潜在的可能性として持つが、ある特定の言語の体験をしなければ、顕在化しない。
注)動物(犬、ネコなど)たちも、潜在的可能性として言語能力を持つので、人が根気よく訓練すれば、貧弱ながらも言語を操れる。
ということならば、教育も愛情も、共通するのは、相手の未来をより良き方向に向けるように働きかけることである。
これらの定義では、愛情や教育を与える側から述べているが、それらを受ける側はどうなのだろうか。
私は、このブログ内で、以前(2007/05/09)、「欲求階層説と個人と国家」、という記事を書いた。
そこから引用。「欲求階層は、低い段階から、1)生理的欲求→2)安全欲求→3)社会的欲求→4)自我の欲求→5)自己実現欲求と、順次高い段階へと上昇する」
自己実現欲求は、自分の能力を最大限に発揮したいという欲求である」
これらを合わせると、教育も愛情も、共に、相手が、欲求を次々に、高めていって、自分の能力を最大限に発揮したいという自己実現欲求を実現させるように、様々な方面から支援することである、と言えよう。
教育も愛も、相手への働きかけである。そして、相手自身は、欲求を持っている。その欲求の高い段階が、自己実現欲求である。
そういう欲求を持つ相手に対して、教育は、知識、技術、経験という、どちらかと言えば、知的方面を支援することである。
それに対して、愛情は、心理的体験、つまり、感情的な方面を支援することである。また、相手が世話を受けなければならない、低い段階の依存状況にあれば、それを支え、さらには、自立(自律)方向へと向けさせてゆくという、生理的欲求を叶えるという、生活方面への支援も含まれる。
私は、また、このブログ内で、以前(2014/08/05)、「資本主義は知価主義に遷移しつつある」、という記事を書いた。
そこから引用。「知、知識・情報、知的能力、個性が、生産手段(資本)そのものである。そんな社会を知価主義社会と呼ぶ」
「極めて優秀な人材を採用することこそが、成長の源であり、存続の源である。極めて優秀な人材が、持てる能力をフルに発揮する場を提供することが、企業の役目になる」
知価社会では、企業活動の重要な部分が、成長の源であり、存続の源である人材の育成である。
参考)「飛躍を導いた経営者は、最初に優秀な人材を選び、その後に経営目標を定める。目標にあわせた人材を選ぶのではない」from"ビジョナリー・カンパニー2 飛躍の法則:ジェームズ・C・コリンズ(著)/山岡洋一(訳) : 日経ストア"
もちろん、手っ取り早く、能力を持つ者を中途採用するという手もあるが。アメリカでは、それを叶えるためのヘッドハンティングが盛んである。
働く側から言えば、企業内にキャリアアップの仕組みを持たないならば、それを叶えるために、企業間を渡り歩くという手がある。
注)私は以前(2008/01/14)こんな記事(「転職を通じてキャリア形成の機会をつかむ」)を書いている。
日本が知価社会に入ったということが、今、「ブラック企業」という言葉を注目させている。「ブラック企業」とは、人材を使い捨てる企業を言う。従業員の能力を伸ばそうという意思がない。
参考)「「劣悪な労働」「峻烈(しゅんれつ)な選別」「非情な使い捨て」などが特徴」from"ブラック企業 とは - コトバンク"
知価社会にあっては、伸びる企業、成長続ける企業は、人材のキャリアアップの道筋を提供できる企業であろう。次から次へと、能力を伸ばす仕組みを持つ企業である。
日本の企業は、人材育成を捨ててしまっているが、従業員のためにも、企業自身のためにも、日本のためにも、人材育成を企業の大きな責務と見なすべきだろう。
家庭にあっても、学校にあっても、企業にあっても、自己の能力を最大限に発揮したいという自己実現欲求を実現させる方向へ向けさせる支援をすることが必須の時代である。それが、相互作用によって、家庭の、学校の、企業の成長発展へもつながる。