真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

哲学者の仕事は何なのだろうか。

私は、今まで、このブログで、さまざまな記事(感想、意見、体験、などなど)を書いてきた。その本数は、724本にまで積み上がっている。
その中で、「哲学」という言葉を一回でも使っている本数を調べると、ほぼ100本にもなっていた。
その中から、哲学を中心的に取り上げている、「哲学とは経験の体系化」を読み返してみた。
そこから引用。「哲学するとは、自分、世界、宇宙を一つにまとめ上げることである」。
簡単に言うと、「哲学するとは、一つにまとめ上げる秩序を見い出すことであ」。
宗教も、実は同じことをするのだが、哲学と違うところは、哲学は、まとめ上げることが主目的であるが、宗教は、それを実践することを重視する。
例えば、キリストは、世界をまとめる秩序の軸として、「愛」を説いた。だから、キリストの言動を、「愛」を最優先したとして、解釈すると理解しやすくなる。
なお、ユダヤ教は、私には、自分自身(の言動)をまとめ上げる(軸から外れない:律する)ことを主目的にしたように思える。
注)身を律することを最優先するユダヤ教の上に、他人に対しては愛を実践するキリスト教が合体すれば、最強の宗教が出来上がると思えるのだが。
孔子の流れをくむ孟子は、人間世界に秩序をもたらす思想として、「長幼の序」を説いた。残念ながら、今の中国からは消えてしまった秩序ではあるが。今の中国では「実利」が最優先されているように見受ける。
織田信長は、武力による、国のまとめ上げを実践した。国をまとめ上げることを最優先させた。その邪魔をするものを蹴散らせながら。
釈迦は、宇宙の基本原理として、「縁起の法」を説いた。釈迦は完全に自我を消し去って、自然と一体化したことによって宇宙を感じ取った。
近代から現代にかけては、人々の心をまとめあげる方法として、武力をすてて、選挙による民主主義が説かれている。
最近は、有志による、自治体単位での、半直接的民主主義が浸透し始めているように思える。
余談だが、小泉元首相は、人々の心をまとめあげる方法として、単純明快なキャッチフレーズを生み出す才能に長けていた(少なくとも当時は、今はもうその輝きは見られないが)。
宇宙は、人間界を除くと、見事に秩序化している。自然界では、どんな事柄でも、現象でも、秩序から外れることは有り得ない。
「天網恢恢疎にして漏らさず」
ところが、人間だけはその秩序から外れる存在になってしまった。そこで、モーゼは人間界に秩序を与えた、モーゼの十戎という形で。
それ以降ずっと、人間は、人間自身で、自分たちの世界に秩序をもたらす方法を模索してきた。
そこで、話を戻すのだが、上で取り上げた私の記事の題名は、「哲学とは経験の体系化」であった。
私達は、日々経験を積み上げているが、それは、バラバラで、コチャゴチャで、乱雑に放り込まれている場合が多い、否、ほとんどである。身を完全に律しているユダヤ教徒でなければ。
それをまとめる方法が、瞑想であり、思索である。
もちろん、脳は自然がつくりあげたものなので、脳自身で秩序化もしている、ただし、寝ている間に。
残念ながら、秩序化の速度が遅いために、いつも完成しきれないでいるが。
眠りは、体も心も自然に適合する方法で秩序化(体制化)する時間である。
眠りは、昼間に使った諸々のものを、再体制化する時間である。
子どもたちが、遊びに使った諸々のおもちゃを、また明日も使えるように、片付け、再生産し、修復する時間を求められるのとおなじように。
それによって、知識は、経験は、階層構造の形で、体系化されてゆく。自分の中の知識と経験が、見事に体系化された人は、瞬時にうまく対応ができるようになる。
あなた方の中で、上司の言動が、常に一貫して、筋が通っていると感じる人と、時と場合によって、矛盾したことを場当たり的に言動するなあと感じる人とがいるだろう。
それは、その人(上司)の中で、体系化されて、階層構造化された、まとまった形で知識と体験を持っているかの違いである。
物事を、体系化するとは、階層構造化するとは、その中に秩序・法則を見出すことである。それをその時その事象に合わせて適用させる。
自分の中に、さらには、世界の中に起こるさまざまな現象の中も、最終的には、宇宙の中にも、秩序を見出す事ができるようになってゆく、ニュートンがしたように、釈迦がしたように。
つまり、釈迦や、キリストや、織田信長や、孔子孟子や、などは、自分の中に、現象の中に、宇宙の中に、秩序を見いだした人々であった。
世の中を住みやすくするには、そこに秩序を見出す努力をする必要がある。まずは、あなたの中から初めてはいかがですか。
あなたも、宇宙と同じように、あなたの中に、宇宙の原理が流れているのだから。
孔子は言った。「70にして心の欲するところに従って矩をこえず」。これは、孔子の心に従って行った行為が、宇宙の原理にも叶う(矩をこえず)ものであると。