真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

時代は国境を越え行く

我が家の住人(妻や子どもたち)を見ていて、日本も、ますます国際化しているなあと、痛感している。
ということで、今日は、我が家について語りたい。我が家は、六人家族であった。まもなく独立する末娘が、去りゆけば、我が家は、夫婦二人っきりに戻るが。
話題は、国際化、つまり、国境を越え行くという部分に限定して進めたい。
私自身(66歳)は、40年前ほどに、イギリスとヨーロッパに、一ヶ月の語学研修に出かけた。と言っても、単なる観光旅行に近いものであったが。
それであっても、貧しい言語力を駆使して、意志を伝えるという経験は、貴重なものであつた。その経験が自信ともなった。
ということで、私は、家族の海外旅行は、奨励している方である。だからというわけではないが、妻(61歳)は、旅行好きで、海外旅行は、もう十数回を超える。
とは言っても、いずれも、旅行業者のパック旅行ではあるが。また、子どもたちの海外の滞在先へ出かけることもある。長女の滞在したオーストラリアにも、次女の滞在するニューヨークへも行った。さらにまた、今回フランスへ滞在する予定地へも行く計画が進んでいる。
長男(32歳)は、大学院から、幸運にも、外資系の企業に勤めた関係から、2年に一回ほどのペースで、海外の本支店(アメリカ、ドイツ)に、一週間程度の研修に出かけている。
注)「幸運にも」と書いたのは、息子も先の見えないポスドクで、将来が不安な中にあった時だったからである。博士研究員 - Wikipedia
海外の本支店(ドイツであっても)では、英語が共通語である。日本語は御法度である。と言っても、相手に日本語が全く通じないが。
ドイツ系の企業であるのに英語が共通語という理由は、採用は、全く国籍を問わないからである。同じ職場に、何カ国もの人々が勤務するのはごくあたりまえだからである。全くの実力本位である。
長女(30歳)は、看護師として病院に勤務をしていたが、オーストラリアでダイビングの資格を取りたいと言って、オーストラリアに、一年弱、滞在した。
そうであっても、残念ながら、語学力はほとんど身につかなかったそうである。と言うのは、英語に接する時間よりも、日本語や韓国語に接する時間のほうが圧倒的に多かったそうである。
その後、沖縄で、その資格を活かした仕事をしたいと、出かけたが、願いはかなわず、バイトをする内に、現地の人と結婚へとゴールインした。
次女(28歳)は、美容師で、家から自転車で20分程のところにある美容院に勤めた。数年前に、将来は、支店を任せたいと言われ、店長になるべく仕事を広げていった。
でも、そのような管理的な仕事を引き受ける中で、やはり自分は、美容師としての仕事に専念したいと考えて、アメリカに渡った。
日本では、年数を重ねていけば、いずれは、管理職の仕事につかねばならないから、それは嫌だといい、自分のしたい仕事に専念することができるアメリカで永住したいと、今は考えている。
日本では、どうしても、就社になってしまい、会社の意向が個人の都合よりも優先される。しかし、アメリカでは、就職であり、したい仕事に専念できる。自分で、この仕事とこの仕事がしたいといえば、会社がそれを受け入れれば、それだけに専念できる。
アメリカでは、同じ美容院内でも、一人ひとりが働き方が異なっているのが普通である。日本の研究者や専門家が、アメリカを望むのはそういうわけである。
欧米では、自己主張と交渉力が必須アイテムなのもうなずける。自己主張しないのは、満足している、納得しているとみなされる。
調理師である三女(26歳)は、ホテルでフランス料理の調理の仕事をしていたが、一度本場で働いてみたいと考えた。その結果、退職をした上で、今年の冬に、一年間の予定で、フランスのレストランで、研修を受けることとなった。
このようなことを考えると、日本という国に生きる場を限定する思考は、もはや、多くの日本の若者達には、消えているのかもしれない。
ましてや、生まれた時から、国境のないインターネットのある時代を生きる、20歳以下の若者には、国境という概念は希薄なのかもしれない。
また、アメリカ(ニューヨーク)から日本まで、飛行機で、5万円あれば、来られる時代である。国境という意識は薄れて当然であろう。