真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

欠乏動機から実存動機へ転換すべき時期

私が、RSS的に購読している、数社の新聞社などから送られてくる、メールを見ていて、「なぜ子供を生むのだろうか」というような題名(削除して正確な題名は不明)が目に飛び込んできた。
その時に、しばらくその言葉を反芻していると、私が以前書いたブログ記事の題名を思い出した。それは、"生きる目的は何なのだろうか"(in真夢人日記)、であった。
そこから引用。
1)「旧制一高(現在の東京大学の前身)の学生だった「藤村操」(fromWikipedia)は、明治36年1903年)5月22日に、華厳滝(栃木県日光市にある有名な滝)で自殺した。」
2)「彼はその時「不可解」の文字で有名となった遺書「巌頭之感」を残した。それが当時のマスコミ・知識人に大きな波紋を投げかけたそうである。」
3)「大きな波紋とは次ようなものであった。厭世観から起こしたエリート学生の死は、「立身出世」を美徳としてきた当時の社会に大きな影響を与え、後を追う者が続出した。」
その中に散らばっている、「立身出世」「厭世観」「不可解」から謎解きをすれば、欠乏動機から、実存動機へ転換すべき時期に来ていたが、それを理解できていずに悩んだ末に自殺した、と私には考えられる。
未来という白紙の紙に何を書き込むか。未来という空白の空間に何を建てるか。実存動機では、それは、一人ひとりに任されている。現代の先進諸国に住む人々には、この問題を等しく抱えている。
欠乏動機段階では、社会から、親から、時代から、与えられている。動物は、欠乏動機だけから行動を促される。発展途上の国々では、社会が持つ動機や欲求をそのまま自分のものとすればよいので、確信を持って前に進める。
空白、白紙は、中立的、自立的、主体的、積極的である。
それに対して、闇は、否定的(不安から逃げる)、依存的(他者や物によって不安の解消を図ろうとする)、消極的(不安と対峙しない)である。
上記の藤村操は、未来を不可解と見て、厭世観を抱き、自殺をした。つまり、未来に闇を見たわけである。
未来が見えないことからくる不安に対して、どう立ち向かうかで、白紙に見えたり、闇に見えたりする。
子育てを終えた主婦が陥りがちな空の巣症候群からキッチンドリンカに陥り、定年退職した会社員も空の巣症候群に陥り、濡れ落ち葉と成り果てる。
マズローの欲求階層説では、四段目にある承認(尊重)の欲求から、次の自己実現欲求へと切り上がる。
それまでは、社会が用意した動機、欲求に促されて、行動をするばよかった。それを、上では、「立身出世」という言葉で象徴させている。
それに対して、実存動機では、自分の中にある能力、才能などを実現させたいと願う。外を見つめていては、どれだけ頑張っても答えは見いだせない。答えは自分の内面の中にあるのだから。
私は、そのことで、「青い鳥」(モーリス・メーテルリンク作の童話劇)を思い出す。
「2人兄妹のチルチルとミチルが、夢の中で過去や未来の国に幸福の象徴である青い鳥を探しに行くが、結局のところそれは自分達に最も手近なところにある、鳥籠の中にあったという物語」(引用from"青い鳥 - Wikipedia")である。
社会や環境から得られる、提示される動機や欲求は、四段目にある承認(尊重)欲求までであり、自己実現欲求は自分の中に求めていかなければならない。
とはいっても、自分の内面に求める前に、必ず外に求める段階を経なければならないが。内面のものを出す通路、手段は、外から手に入れなければならないからである。
この外から内へと反転をした時に、未来を闇だと絶望するか、何を書き込んでもいい、何を作り上げてもよい、空白、白紙だと感じるかは、それへの準備ができているかどうかである。
未来は、空白、白紙だと感じるか、漆黒の闇だと絶望するか。
未来を空白、白紙だと感じる人は、性格が中立的、自立的、積極的に作り替えられているからである。空白、白紙に何を書くか、何を作るかは自分に任せられていると感じるからである。
それに対して、闇だと感じる人は、性格が、依存的、消極的で、外からの指示待ちタイプであるからだ。誰も何も教えてくれないと嘆く。
実存動機(自己実現)段階では、霧の中、闇の中で、未来を指し示す灯台を外に探しても、見つからない。内面が指し示すかすかな声を聞く準備ができていなければ。
内面の声を聞く方法として、瞑想、座禅などがある。外に目を向けないで、自分一人の時間を確保することが必須である。あるいは、読書をしながら、ゆっくりじっくりと、作者と対話をすることである。
注)速読は、内面を動かしてはならないので、作者との対話はできない。作者との対話には、極めてゆっくりとした遅読が必要である。
自己実現欲求者は、心理的、精神的、実存的、自立的、発展(進化)的である。
例えば、お金を求めるとしても、それは、自己実現の単なる手段であると考える。物質的なものを求めるとしても、それは自己実現の通路にすぎないと見ている。目的と手段を明確に区別している。
自己実現欲求者が真に求めるものは、心の満足、内面的な満足(鳥籠の中にいる青い鳥)である。例えば、充実感、他者からの感謝の言葉や態度、相手の幸福そうな笑顔、などなどである。
物質的な利益を手に入れたとしても、それは、そこに付随するおまけである。
自己実現欲求者は、物質からは本当の満足は得られない、が故に、物質を追い求めても、虚しさがこみ上げてくる。
参考)山のあなたbyカール・ブッセ/上田敏
山のあなたの空遠く「幸」住むと人のいふ。
噫(ああ)、われひとゝ尋(と)めゆきて、涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く「幸」住むと人のいふ。
ということで、「なぜ子供を生むのだろうか」との問いかけにも、同じことが言える。自己実現欲求からの招待状なのである。でも、その招待状を読み解けない、心の準備のできていない人々が多すぎるようだ。