真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

ある分野が突出して成長し、他の分野が放って置かれる

私は、"gacco"の講座を受講しいるが、最近、その中の、夏野剛先生の、「ネットワーク産業論」に感銘した。それで、「ネットは社会をどう変えたか」について調べたくなった。
ということで、夏野剛先生の著書、「グーグルに依存し、アマゾンを真似るバカ企業」(2009年出版)を、挑戦的な題名に大きな期待を持って読んでみた。
だが、期待が大きかった分、落胆も大きかった。私の中で、大きくバブルがはじけた。抽象的な表現が、しかも、くどいほど、同じことの繰り返しで、完全なる、羊頭狗肉であった。
次に、もはや、IT分野では、古典的名著とも思える、梅田望夫氏の、「ウェブ進化論」(2006年出版)を読み返している。初めて読んだときは、すごい本だなあと驚いた。
彼の、個々の事象から、それらに共通する深い本質を読み解く、読み取る能力の高さに感銘を受けた。
今日、それを読み進む中で、私の心を捉えた部分があった。
ある分野が有望となれば、他の分野が放って置かれ、ある分野が突出して成長する。その成長が緩やかになれば、今まで放って置かれた分野に光が当てられれて、次に、そこに集中して、資金、エネルギー、労働力などが投入される。
そのようなことが書かれていた。ということで、今日は、それについて述べたい。
今ガソリンの値段がどんどん低下している。これは、石油の敵である、シェールガスシェールオイルを潰しにかかるために、石油側の反撃だとも言われている。
事実、ガソリンの価格の大幅な低下によって、シェールオイル(ガス)は採算割れに追い込まれているらしい。しかし、これは長く続くはずがない。単なる延命措置にすぎないだろう。
しかし、シェールオイル(ガス)自体も一時しのぎの役割にすぎないかもしれない。他のエネルギーとして、電気、水素ガスなども、次々に候補として上がっている。
エネルギーについては、石油の前は、石炭であった。石炭の前は、木材であった。中世は、主に、木材が主要エネルギーであった。
産業革命の陰の功績者は、石炭であった。木材では製鉄できない。石炭という火力の強いエネルギーが、鉄を作り、鉄道を走らせた。
しかし、近代工業社会では、それが石油である。石油は応用範囲がとても広い。だが、すでに枯渇が心配され始めている。
別の例を考えてみる。コンピュータが普及し始めた頃は、デスクトップPC(固定型)であった。そのデスクトップPCの性能を高めることに、多くの資源が割かれていった。
CPUの性能、メモリの増加、記録媒体(ディスク、ハードディスクなど)の大容量化、ディスプレイの性能(ブラウン管から液晶へ)、基本ソフト(OS)の利便性向上、応用ソフトの多様化、などなど。
それらが相乗効果を上げながら、デスクトップPCは、あれよあれよという間に、成熟していった。そして、子供から大人っになって、成長が止まるように、デスクトップPC分野の成長は鈍化してきた。WindowsXPがその頂点的存在ではないかと思える。
参考)1)「モバイルやクラウドが今後さらに普及した場合、Windows XP は、広く利用された最後のデスクトップ OS として認識されることになるかもしれない」
2)「Windows 95 がコンピューティングの人気を高めた OS とするならば、Windows XP は、毎日の生活でコンピューターを必須のものとした OS だ」引用from"Windows XP は、パーソナルコンピューティングの歴史に残る OS だ:そう考える10の理由 - インターネットコム"
そうなると、次を模索する中から、「携帯性」を合言葉に、そこに、集中して、資金、エネルギー、労働力などが投入され始めた。
その先鞭をつけたのが、アップル、iphone(通話機能を含む)、ipad(タブレット型)であった。成長分野は、「携帯性」に関わる情報機器となった。スマホタブレットが普及し始めたら、次は、さらなる「携帯性」の向上。
注)でも、その先駆け的存在は、ソニーウォークマン(ソニーが1979年7月1日に発売開始)ではないかと思える。しかし、時代の先を行き過ぎていたのだろう。固定型デスクトップPC分野に負けてしまった。主役の座を張るには、どれだけ裾野の広い脇役を配置するかにかかっているのだろう。
それは、「ウエアラブル」(身体装着性)である。メガネ型、腕時計型(リストバンド型)。それにプラスして、ジェスチャー操作、音声操作、などの手を使わずに操作する方式。
更には、ヘッドバンド型。これならば、脳波による操作も不可能ではない。それらによって、手は開放される。それらは主役ではなく、邪魔することなく、他の行動を補助する側に回れる。
その後には、ネットと家電(エアコン、冷蔵庫、ドアホンなど)、自動車、家そのものとの融合が、どんどん進化、進歩してゆくのだろう。ユビキタスである。ネットの存在を意識することなく、あたかも空気のような存在としてネットを利用する。
日本において、近代工業社会は、バブル崩壊とともに終わった。そして、バブル崩壊後の経済的停滞期の裏で、知価社会がひっそりと頭をもたげていた。
バブル崩壊にともなって、資金、エネルギー、労働力などが、日本固有のガラパゴス的文化産業へと流れ込み、知価社会として頭をもたげてきていたのだ。
そして、今や、力強く、成長へと邁進し始めている。それは、観光、サブカルチャ的文化産業が、花開いていることでもわかるだろう。
だから、失われた10年、とか、20年とかでは決してないのだ。日本の、近代工業社会から知価社会への方向転換の時期であったのだ。だが、中高年世代には、その変化が見えてこないのだろう。
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