真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

玉石混淆問題と、大手メディアと個人メディアや小メディア

2015/02/11に、このブログで、梅田望夫氏の、「ウェブ進化論」(2006年出版)を読んでいて、印象に残った表現を元にして、「ある分野が突出して成長し、他の分野が放って置かれる」、という記事を書いた。
この本を未だに読み終えられずにいる。今日は、その本に、玉石混淆問題が取り上げられていたので、それに関連した内容を述べたい。
忙しい人は、新聞、雑誌、テレビなど、玉を選り出して、広範囲の分野を網羅する大手メディアに依存する。私自身は、もう新聞は購読していない。
それでも、ネット内には大手メディアの新聞記事があふれている。私は、朝日、毎日、日経、などから、メール配信を受けている。
毎日、10本以上のメールが配信されてくる。そこに載っている見出しを流し読みをし、これぞと思う記事をサイトに読みに行く。
その数だけでも、毎日10本以上になると思う。そういう習慣がつく前には、GoogleNewsを毎日読みに行っていた。今では、それを読みに行くことはめったにない。
その理由は、GoogleNewsが取り上げる見出し数より、上記大手メディアが提示する見出し総数の方がはるかに多いし、多彩であるからだ。
そういう点では、私も、大手メディア依存症だ。このような大手メディアを全方位型(全国版)とするならば、それに対するのは、分野特化型(ローカル版/地方版)だろう。
隙間的分野に特化した、個人や小メディアとして、私のお気に入りは、「らばQ」である。ほぼ毎日、そのサイトに記事を読みに行く。
あるいは、SNSの"Google+"には、そこへの参加者が管理人になって開設しているコミュニティがたくさんある。そして、そのコミュニティには毎日幾つもの投稿がされている。
これなども、小メディアとも言える。私は、そのうちで、(日帰リ)温泉について投稿されるコミュニティが気に入っている。
注)そのようなコミュニティで感じるのは、楽しかった、美味しかった、良かった、などの間投詞的感想だけで終わる投稿も多いのが残念な点である。
大手メディアは、非常に沢山の人々に視聴してもらうことを考えて、最大公約数的、あるいは、最小公倍数的内容を選り出す傾向が強い。それを、サラリーマンなどの社会人は、共通項として、知識を仕入れる。
それに対して、個人メディアや小メディアは、趣味や興味に基づいて、内容を選択する。
言い換えると、トールヘッド(大手メディア)は、トールヘッド(最大公約数的サラリーマン)に向けて発信し、ロングテール(個人メディアや小メディア)は、ロングテール(特定の趣味や興味ある人々)に向けて発信する。
サラリーマンなどの忙しい社会人は、情報への受動的受信者にとどまりがちであり、全方位型(全国版)の大手メディアを選び勝ちである。
それに対して、個人メディアや小メディアは、希少性情報を発掘する能動的発信者である。
随分前には、オタクはマイナスイメージを持たれていたが、今や、プラスイメージに転換してしまっている。それは、個人メディアや小メディアが、大手メディアが手を出せない方法と手段で、情報を発信しているからである。
情報を発掘する能動的発信者は、ある意味、アーリーアダプターである。強い好奇心で、自分の関心興味ある分野を新しい情報を求めて探しまわる。そういう人々が個人メディアや小メディアになる。
注)「アーリーアダプターとは、マーケティングに関する用語で、新たに登場した商品、サービス、ライフスタイルなどを、比較的早期に受け入れ、それによって他の消費者・ユーザーへ大きな影響を与えるとされる利用者層」引用from"アーリーアダプターとは 「初期採用者, 早期採用者」 (early adopter): - IT用語辞典バイナリ"
このようなことを考えると、玉石混淆問題とは何なのだろうか。玉とは何なのだろうか。石とは何なのだろうか。
ライオンの死体は、植物にとって、栄養源であり、狐の糞は、スカラベには、大切な食料貯蔵庫である。視点を変えれば、玉が石に過ぎなかったり、単なる石が宝石になったりする。
ある人にとって、単なる石にすぎないものが、別の人にとっては貴重な宝石にもなり得る。これは価値観の問題にすぎないのかもしれない。
あるいは、個人メディアや小メディアからの発信内容に対する、大手メディアによる揶揄に過ぎないのかもしれない。
もはや、大手メディアだけが、価値観の提示者ではないことだけは、いよいよはっきりしてきたように思える。これは、オタクのイメージが良い方向へ転換したことに端的に現れている。
これは、みんなと同じ価値観を共有することよりも、個人個人にあった価値観を持つことが、好まれるという個人の時代、個性の時代の到来をも意味している。
注)もちろん、ある人にとってのある関心事に対する、玉石混交問題は依然として残るが。
「梅田望夫」の著書(fromアマゾン)