真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

CGM、オープンソース現象とは

前回(2015/02/23)に引き続いて、梅田望夫氏の、「ウェブ進化論」(2006年出版)を読んで、これはと感じたこと、つまり、オープンソース(現象)について述べたい。
まずは、その言葉の定義から。「ソフトウェアの設計図にあたるソースコードを、インターネットなどを通じて無償で公開し、誰でもそのソフトウェアの改良、再配布が行えるようにすること。また、そのようなソフトウェア」。引用from"オープンソースとは: IT用語辞典"
そこから拡大解釈してのオープンソース現象を、私なりに定義したい。「ある目的、目標」を持った「場(リアル、ネットを問わず)」に、「不特定多数の人々(誰でも)」が、「無償」で、能力、情報、行為などを「持ち寄って」、その目的目標に向けて進んでいく現象。
これは、CGM(Consumer Generated Media)と近い現象である。「直訳すれば「消費者生成メディア」です。簡単に言えばWebサイトのユーザーが投稿したコンテンツによって形成されるメディア」。引用from"CGMとは | SEO用語集[SEO HACKS]"
私は、以前(2008/11/22)、このブログで、「紙新聞対Googleニュースの役割の違い」、という記事を書いた。
そこから引用。「その「Googleニュース」は、「610以上のサイトから記事を集めている。そして、それらを社会面や経済面やスポーツ面など9つに分類する。日々どれほどの記事数を集めるのか分からないが、類似・同類の記事は一つにまとめる。
その結果、代表記事の下に「関連記事」数が明記される。私はこれを「重要度に関する評価」として捉えている。あるテーマの記事数が数百(300〜400)に上ることも珍しくはない」
サイト運営者が直接コンテンツを生成するのではなく、集める、集まるものを、編集、整理するだけならば、CGMとみなす。
そうならば、「Googleニュース」は、CGMである。そこからさらに引用。
「これは少数の権威者に頼るか、多数の一般者に頼るかの違いともいえる。これもアナログ世界での一握りの専門家対デジタル(ネット)世界での多数の一般者という構図が当てはまる」
CGMオープンソース現象とは、極端に要約すれば、「(アナログ世界)少数の権威者、一握りの専門家、"対"、(デジタル(ネット)世界)多数の一般者」、という構図である。
グーグルは、図書館の本についても、CGM的に、オープンソース現象的に、無償公開しようとしている。しかし、これには、著作権者(団体)が強く反対している。これは、グーグルがどちら側に立っているかを鮮明に示している。
だが、グーグルによる図書館本の無償公開の場合は、他の、CGMオープンソース現象とは異なる。つまり、提供者の自由意志という点でだ。
著作権者(団体)の自由意志が考慮されていない。自由意志による、自由参加であり、当人が著作権を持つ情報を持ち寄るのが、CGMオープンソース現象である。
この部分が担保されていないCGMオープンソース現象は、残念ながら、うまくいかないのではないだろうか。
では、何故、多くの、CGMオープンソース現象は大きく発展していくのだろうか。
私は、以前(2009/02/17)、このブログで、「長屋の花見と自律分散型システムと大戸川ダム」、という記事を書いた。そこから引用。
「個人が組織に従属する中央集権型では、彼1人(トップ)が考えて残り全員が彼が従う。しかし、この政治体制がことごとくうまく動いていなかったのは火を見るよりも明らかがである。それよりも国民全員が知恵を出し合う(持ち寄る)組織の方が断然強い。この体制が民主主義である。その卑近な例として、長屋の花見と持ち寄りパーティーをマクラにした。
知識の生産様式が、ごく一部の専門家に限定される中央集権型から、全員参加型の自律分散型へと転換すべきであろう。 これがネットの普及によって、幾分か実現しつつある、まだまだ未熟ではあるが」。
CGMオープンソース現象は大きく発展する、更にもう一つの理由。
長屋の花見と持ち寄りパーティーの本質は、各自が自分の得意分野を無償で持ち寄ることで、他人の得意分野の能力、情報、行為を無償で享受できる、ことである。
CGMオープンソース現象とは、各自が、本業ではない、趣味的能力、情報、行為を、自由意志、自由参加によって、ネット上(リアル世界でも)に少しずつ持ち寄りアップし公開すれば、他人の無限大とも言える能力、情報、行為を無償で享受できる現象である。
このように定義してみると、リアル世界でも、はるか昔から実践されていた行動様式であるように思える。
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