真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

「見えてきた次世代SNS」って、何なのだろうか。

私の基本的な興味の方向は、「変化」、である。古いものよりも、新しいものに興味関心が向く。後ろよりも、前を向きがちである。
ということで、「見えてきた次世代SNS…伝説の日本人プログラマーが予感した変化とは?」from"まぐまぐニュース!"、という記事に目が止まってしまった。
ということで、今日は、この話題を取り上げたい。
とはいえ、私は、"Facebook"は、したこともない。"Twitter"も、すぐに飽きてしまった。ただ、ブログへの投稿だけは、2006年から、今日まで、769回も続いている。
SNSに関しての私なりの解釈は、情報(文章、写真、音声、動画、などなど)の交換や会話/コミュニケーションを楽しむサービス(場)である。今や、ネット上には、そのような社交場で溢れかえっている。
ネット上SNSは隆盛だが、リアル世界でのSNSは、はるか昔からあった。でも、リアル世界でのSNSは、大抵の場合、お茶、お花、そろばん、踊り、などなど、講師(先生)を基軸に放射状のつながりが基本形である。
しかし、場を提供されたネット上SNSでは、自然発生的なつながりが形成される。つながりの間はいいが、それが束縛へと向かうと苦痛になり、SNS疲れとなる。
ともあれ、まずは、上記記事から引用。
1)「アニメの主人公に扮したコスプレーヤーや同人作家たちが集まるコミコン、コンテキストが際立っているイベントの典型的な例です。そこでだけ通じる常識や言葉が、その真っ只中にいる人たちにとっては心地よい空間を作りますが、その裏返しとして、そこは価値観が共有できない人たちにとっては居心地の悪い排他的な空間を作り出します」
2)「世の中で成功しているソーシャル・ネットワーク・サービスは、どれもがこのハイコンテキストで排他的な空間と、誰にでもオープンな汎用的なサービスとのバランスを微妙に保ちながら成長しています」
3)「これから台頭するだろうと私が注目しているのは、この傾向をもっと過激にした、ハイコンテキストなSNSです。具体的に言えば、「日本に住む、原宿ファッションに憧れる16〜17才の女の子」だとか「米国に住む、アウドドア派の18〜24才の独身の男性」「ヨーロッパでEDMを楽しむ20代後半から30代前半の富裕層」などのターゲットを絞り込んだ SNS です」
私の人生を通じての課題の一つは、「集団と個人」「集団と個人のバランス」である。集団の中に溶け込んでしまうと、個人が消えがちである。個人を主張し過ぎると、集団から排斥を喰らいがちである。
現代は、個人の時代だとはいえ、社会や集団とのつながりなしでは、個人は生きながらえてはいけない。
となれば、個性を持った個人が、集団とどうつながってゆくか、どんな集団とつながっていくのか、これが人生の課題となろう。
私は、以前、このブログで、「エジプト革命に見るように、血縁・地縁からSNSによる知縁が主体に躍り出た」、という記事を書いた。そこで述べた言葉や内容を絡めながら、上記の話を続ける。
集団を作り出す目的は、「価値観の共有」である。血縁・地縁も、SNSによる知縁も、主に、「価値観の共有」である。
集団は、その中にいる人たちにとっては「心地よい空間」である。集団が小さい間は、例えば、「顔や声を頼りに形成された社会的関係」、「毛づくろいをする間柄」、程度の広さであれば、その中にいる人たちにとっては「心地よい空間」であろう。
が、もはや「価値観の共有」ができないほど、集団が大きくなれば、つながり感が希薄になり、分裂の危機が待っている。そうなれば、集団内に、更に小さな島状の小集団が生まれがちである。
これが、彼(伝説の日本人プログラマー)の言う、「ハイコンテキストで排他的な空間」から「オープンな汎用的なサービス」へと移行すると、「心地よい空間」が薄まってしまう、理由であろうか。
かくて、「毛づくろいをする間柄」だけで形成される、小さな島状の小集団が誕生する。「ハイコンテキストで排他的な空間」の再来である。
これは、どんな集団、組織、システム、でも生じる、ジレンマである。このようにして、大企業は、衰退してゆく。
この現象は、例えば、日本語ワープロソフト「一太郎」でも、コンピュータオペレーティングシステムWindows」でも言えることである。
こんなこともできたらいいのに、あんな機能も盛り込んでほしい、というさまざまな要望に答えて、多くの人々に満足されるサービスを目指したことが、重たい、無駄な機能が多すぎる、操作が難しい、覚えきれない、などなどの不満として跳ね返ってくる。
そうなれば、ある機能に特化した製品が誕生し始める。これは、結果的には、大きな組織の分裂と同じ役割を担う。
大企業の場合にも、決定するのに、いろんな部門の声を聞き、さまざまな外部の意見を聞き、部門間の調整をし、などなどで、決定が遅れ、挙句に、多くの人が満足する無難な決定に終わる。
巨大客船がUターンし終わるまでには何キロも進んでしまう。つまり、小回りがきかない。効率がいつの間にか摩擦に変わってしまっている。
売店では経費が大きくのしかかる。その結果、効率のよい大型スーパーが隆盛した。だが、今や、その大型スーパーも衰退をひた走る。
今その後を埋めるのが、小さな何でも屋さんのコンビニである。小売店⇒大型スーパー⇒コンビニ。
宇宙の基本的変化は、分裂と統合である。分裂しては再統合して大きくなり、それがまた分解したり、崩壊したりして、再統合への新たな種となる。