真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

拈華微笑と仏教の目的

私は、妻と一緒に、録画した番組「おみやさん」を、再生して、見ていた。私は、不意に再生を止めて立ち上がった。
すると、妻は、「私も」と、私に声をかけてきた。私は、不意を食らって、「え?」と、聞き返した。「アイスキャンディーを取りに行くんでしょ?」と、微笑みながら言った。ズバリその通りだった。
見終わってから、あれは、以心伝心、拈華微笑だ、と思った。ということで、今日は、それについて述べたい。
以前、私は、「老子と莊子と道元と、皆友達」、という記事を書いた。そこで、私は、「道、無為自然」と、「人為」とについて述べた。
また、私は、「人間には、2つの意識層がある」、という記事も書いた。そこから引用。
「意識(自我)と無意識の関係は人と神との関係とは、意識=人、無意識=神であり、当然無意識のほうが上であるが、人間では普通、無意識よりも意識のほうを重視している。」
それらを結びつけると、「道、無為自然、無意識=神」と、「人為、意識(自我)=人」となる。
ここからは、更に、私の妄言なのであるが、私は、人間は、肉体と魂の二重構造だと思っている。普通、人は、「人為、意識(自我)、肉体」が主導権を握っている。「人為、意識(自我)、肉体」の原理で行動している。
俗世間から脱したい僧侶(特に修行僧)は修行をすることによって、悟りを得ようとする。悟りを得るとは、「人為、意識(自我)、肉体」が握っていた主導権を、魂、即ち、「道、無為自然、無意識=神」(仏教にあっては仏)が取り戻した瞬間を意味する。
次からも、私の妄言なのであるが、魂は、肉体と同様に、見る能力、聞く能力、話す能力を持っている。だが、魂のそれらの能力は、魂どうしでしか発揮できない。つまり、肉体は肉体としか交流できない。同様に、魂は魂としか交流できない。
というところまで述べたところで、最初の話題、「アイスキャンディーを取りに行くんでしょ?」が、以心伝心、拈華微笑だ、と思ったという話題に帰る。
なお、拈華微笑とは、「釈尊霊鷲山(りょうじゅせん)で蓮華(れんげ)をかざして大衆に示したとき、大衆はみな黙ってしまったが、ただ迦葉だけはにっこりほほえんだ。そこで釈尊は「正法眼蔵涅槃妙心(しょうぼうげんぞうねはんみょうしん)、実相無相微妙法門(じっそうむそうみみょうほうもん)」の仏教の真理を迦葉に伝えたとする話」。(引用fromコトバンク)
ここからも妄言が続くのだが、仏教の目的は、魂が地上でもその能力が発揮できるようにすることではないのかと、私は思っている。