真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

癒やされるとは、正直で素直な心に戻ること赤ん坊に戻ること

我が家には、猫がいる。子どもたちが、家を巣立った今となっては、貴重な家族である。ふと、寂しくなる時には、心を癒してくれる存在でもある。
一般に、犬や猫などは、心を癒してくれる存在である。特に、犬は、はっきりとセラピー犬という役割を担っているものもいる。
では、何故、犬や猫などは、心を癒してくれるのだろうか。そのようなテーマで、私がこのブログで、書いたことはないのかと、検索してみると、ほぼズバリの題名、「癒やされるとはどうなることなのだろうか」(別題:犬や猫を見ていると、癒やされるのは何故か)、という記事を書いていた。
そこから引用。
1)「精神的な面で言えば、癒やされるとは、正直でない、素直ではない状態から、正直で素直な心に戻れることである。本来の自分(赤ん坊時代)に戻れることである」。
2)「正直でない、素直ではない状態とは、心理学的に言えば、防衛機制を作動させていることである。凸レンズや凹レンズを通したかのように、心がまっすぐに進まない」。
注)「不快な感情、気持ち、体験を弱めたり避けることによって、心理的に安定した状態を保つために発生する心理的な作用」。引用from"防衛機制とは?"
例えば、ある人に出会うと、競争心、対抗心、嫉妬、反発などの感情が沸き上がってきて、いらいらすることがある。冷静で、真っ直ぐな心ではいられない。
これはたいてい、自分と同じレベル(能力など)にある人に対して起こす感情である。自分が(無意識的に)今課題とする事柄を刺激する能力などを持っている相手に対してである。つまり、競争相手である。
犬や猫などを競争相手と感じる人は少ない。また、そういう意味では、自分には到底持てないような能力を持っている立派な人々。逆に、赤ん坊のようにまだ何も開花させるべき能力を意識化させていない存在。
犬や猫、立派な(尊敬できる)人々、無垢な存在に対しては、防衛機制を作動させる必要がない。本来持っていた、正直で素直な心に戻れる。
注)2歳位までの赤ん坊は、反射的な行動が主なので、愛らしいが、言葉が使えるようになると、自我から発する、小憎らしい言葉使いや態度も出て来る。これは、一対一対応の反射ではなく、自らの中にある選択肢(過去のさまざまな経験)から自我か選択して行動や言葉を発する。
でも、競争相手ではない人へも、防衛機制を作動させてしまうことがある。それは、過去にトラウマ的な体験をさせられた相手(人でけでなく、状況、もの、事柄など)に対してである。
父親から暴力を振るわれていた子どもたちは、父親的な存在(例えば、教師や指導者など、つまり上から目線の人々)に対して、強く防衛機制を働かせてしまう。
つまり、目の前の競争相手だけでなく、過去のトラウマを想い起こさせるのと同様な存在に対しても、防衛機制を働かせてしまう。
防衛機制を働かせるとは、心を閉ざしていることでもある。城の門を閉ざして、籠城することである。守りに入ってしまうことである。
逆に、正直で素直とは、相手に対して、心をひらいている状態である。交流を妨げないことである。自由な往来を許すことである。
防衛機制を働かせるとは、状況は北風だと感じていることであり、正直で素直とは、太陽を浴びていると感じていることである。
防衛機制は、心にコートを固く覆わせ、癒しの存在は、心を相手に対して開かせる。
人や生物に対してだけでなく、大自然の中にあっても、コート(防衛機制)を脱ぎ捨て、正直で素直な心を取り戻せるので、癒やしを感じる。
もちろん、相手からなんの反応、応答もない場合には、癒しの存在にはなりにくい。自然は、私達の五感に働きかけて来る存在である。風呂なども、同じように働きかけて来る。
カウンセリングもそれを目指す。カウンセラーが、癒しの存在(防衛機制を働かせないでよい存在)として、相手の前に座り、癒しの(心的)空間を醸成する。
そのことによって、心が開かれ、自分自身を正直で素直な目で見ることができるようになる。それによって、自分の歪みがわかる。
座禅や瞑想も、防衛機制を作動させる必要がないように、心を沈めて(静めて)、自分を自分自身を正直で素直な目で見つめる。
心のなかに浮かんでくる、何事(過去の経験)に対して、無意識的な防衛機制が作動しない状態が、無風の湖面である。そこには、ありのままの姿が浮かび上がる。
そのありのままの姿が、如何に悲しい、恥ずかしい、辛い、苦しい、状況を指し示していても、正直で素直な目で見つめる、受け入れる。正直で素直であるには、精神的な強さを必要とする。
しかし、弱い心(不快な感情、気持ち、体験を冷静に受け止められない精神)は、そのようなネガティブな(悲しい、恥ずかしい、辛い、苦しい)自分を否定、拒否、拒絶してしまいがちである。この「否定、拒否、拒絶」(弱めたり避けること)が、防衛機制の源である。