真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

海津大崎の桜とジョニー・アップルシードと過去の積み重ねと

私と妻は、青春18切符を利用して、4月8日に、琵琶湖湖岸に位置する、海津大崎の桜を見に行った。前々からぜひとも一度見に行きたいと期待していた場所であった。
妻も私も、できるだけ速く長く目的地で楽しむだけではなく、旅行計画、弁当作り、電車の中での語らい、車窓からの風景、目的地での観光、などなど、若いころとはひと味違った、楽しみ方も知った。
大阪駅から、一時間半ほど(新快速)で、マキノ駅についた。そこで自転車(3時間500円)を借りて、湖岸沿いに植えられた桜並木を目指して走った(といっても15分ほど)。
桜並木が始まる地点に着くと、「おお〜」、と思わず歓声を上げてしまった。桜並木、青空、湖面の色が、素晴らしい風景を生み出している。
穏やかな湖を眺めながら、桜の花の下で、少々寒さを感じながらも、弁当を食べた。のんびりした時間が流れてゆく。自然の中に包まれているという気持ちが心地よかった。
都会に住む人間にとっては、なんとも贅沢な時間であろうか。土地の人にあっては、当たり前の場所であるけれども。
しかしながら、このような風景は自然に生まれたものではないことを知った。人々の努力の賜物である。それを知って、眺めると、自ずと感謝の気持が沸き上がってくる。
「海津大崎」(fromWikipedia)の桜並木誕生の言われについて、wikipediaから引用。
1)「桜並木は、1936年(昭和11年)6月に大崎トンネルが完成したのを記念して海津村(現・高島市マキノ町海津)が植樹したもの」
2)「桜並木の誕生は、海津村による植樹に先立つこと5年前、当時滋賀県高島地方事務所に道路補修をする修路作業員として勤めていた宗戸清七(当時37歳、百瀬村(現・高島市マキノ地域)在住)が作業の合間に自費で購入した若木を植えたことに端を発する」
3)「3年後に若木が花をつけはじめると村の青年団も協力しはじめ、宗戸の指示により団員がリヤカーで水や土を運び、若木がしっかりと根付くよう植樹を行ったことが、後の桜並木をつくる大きなきっかけ」
私は、この話を聞いて、アメリカ開拓時代に、「リンゴの種を携えて西部の開拓地一帯(当時の西部なので、現在のアメリカ東部から中西部に当たる)を回り、聖書の教えを説きながらリンゴの種を植えて回ったという」ジョニー・アップルシードを思い出した。
彼は、「ペンシルベニア州オハイオ州インディアナ州イリノイ州ケンタッキー州にまたがる。当時の中西部は開拓初期でろくな道路もなく、彼は野宿をしながら点在する開拓地を回っていった」。
「死後も開拓者精神を代表する人物として数多くの逸話や伝説が残っており、現在も小説等の題材に取り上げられ、親しまれている」。引用from"「ジョニー・アップルシード」"fromWikipedia
過去のこういう人々に支えられながら、私は、今を、素晴らしい今を生きているのだなあ、とつくづくありがたさを感じずにいられない。
歴史の中では、このような偉大な人が地道に努力を重ね、その成果を見た人々が、その人の周りに集まり、大きな輪となり、素晴らしい物を築き上げるという過程がたくさん記されている。
仏教(?)では、先祖を大切に祀るということを説く。名もなく貧しく美しく人生を過ごしてきた、過去の人々のおかげで今があるということなのだろう。若いころには、全くその意味するところがわからなかったが。
大阪城公園に行っても、過去の歴史が今このような素晴らしい場所を生み出しているのだなあと、感じたことがあった。
その時代の人々は、私達が暮らす未来を意識して生きたわけではないが、営々と黙々と築き上げたものを、私達は利用させてもらっている。
そうならば、私達も、未来の人々が感謝したくなるような、過ごし方をする、という意識付けが、先祖を大切に祀るということなのだろう。
今、まさに、日本は、過去の人々が営々と黙々と築き上げた素晴らしい風景、建築物、技術、おもてなし心、などなどが実を結び、観光立国として、立ち現れている。
私達は、過去の上に生きている。逆に、その過去がどれほどの悲惨、悲しみを感じさせるものであっても、それを事実として受け止めるべきで、否定すべきではないと、強く思う。
悲惨な、暗い、悲しい過去を、どう受け入れて、現在と、未来に受け継いでいくかで、周りの人々の見る目が変わる。そういう点で、日本人の覚悟が悲しい。