真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

将棋電王戦、「イスラム国」、規模の経済:三題噺

今日は、落語の三題噺的な趣向でいきたい。三題噺では、観客から、3つの題(奇抜な題が好まれる)をもらい、それらを織り込んだ話を創作して披露するという趣向である。
私の場合は、三題、1)将棋電王戦、2)「イスラム国」、3)規模の経済、の中に共通要素を見つけ出してみたい。(見出したからこれらを選んだのであるが)
なお、規模の経済について、前回(「従来のビジネスモデルがまったく通用しない、知価社会への突入」)、このブログで取り上げた。
ということで話を進める。
まずは、将棋電王戦に関する記事を2つ紹介。
1)「Seleneが角成らず王手にまさかの放置で投了、第2局も人類・永瀬拓矢六段の勝利となる|将棋電王戦FINAL - 週アスPLUS」(2015年03月21日)
そこから引用。「永瀬六段が角成らずと指したとき、Seleneが飛角歩の成らずに対応しておらず、止まってしまい投了」
2)「10手先にわな 棋士、ソフトの弱点突く 将棋電王戦:朝日新聞デジタル」(2015年4月11日)
そこから引用。「馬が捕獲されるのは、人間にとってはほぼ必然の一直線の手順。人間なら引っかからないが、ソフトは一手ごとに広く手を探索するため、約10手先にあるわなを見破るのが難しい」
これらの将棋は、人間ならば(筋[必然の一直線の手順]が読めるので)引っかからないが、ソフトの方は引っかかってしまった(一本の筋とは見えていない)。
これに関して、谷川浩司会長は「ソフトにも恐ろしく強い部分もあれば意外な弱点もある」と述べている。
ソフト作成者の能力次第ということでもあるが、過去の手をどれほど豊富に取り込んでも、未来の手(奇抜な新手)を読み込むことができないからだ。
参考)「電王戦の舞台裏 棋士たち、コンピューターをかく負かす:朝日新聞デジタル」
次の題へ進む。今、「イスラム国」が、世界に恐怖を与えている。自爆テロという、いつどこにどんなふうに死が訪れるかわかならない、恐怖である。
自爆テロで、私は、ベトナム戦争を思い出す。南ベトナム解放軍のゲリラ部隊を、ベトコンと呼んだ。世界の警察、アメリカが本気で取り組んでも、攻め切れず、撤退を決意した。
これは、先進諸国対発展途上国の戦いとも読めないことはない。
なお、「ゲリラ戦とは、予め攻撃する敵を定めず、戦線外において小規模な部隊を運用して、臨機応変に奇襲・待ち伏せ・後方支援破壊などの攪乱や攻撃を行う戦法」引用from"ゲリラ - Wikipedia"
日本も、ほぼ生還の見込みがない決死の攻撃、もしくは戦死を前提とする必死の攻撃を行う戦術部隊である、特攻隊を持っていた。引用from"特別攻撃隊 - Wikipedia"
ゲリラ戦法や特攻(敵を巻き込む自爆)戦法は、弱者(少数者)が強者(多数者)と戦うときの常道的戦法でもある。弱者にとっては、強者が用いる戦法で戦っても勝ち目は薄い。
というこことで、将棋電王戦と「イスラム国」とが、「弱者が強者と戦うときの常道的戦法」(臨機応変に奇襲・待ち伏せ・後方支援破壊などの攪乱や攻撃)という面でつながった。
次の規模の経済であるが、同じ製品であれば、値段が安いほうが売れる。ということで、規模の経済が有効となる。大企業と中小企業が、同じ製品を作れば、規模の経済によって、大企業が優位に立てる。
規模の経済一直線で向かってくる、中国に対して、同じ土俵では勝ち目がない日本。だが、日本は、同じ土俵で戦ったがために、撤退につぐ撤退に追い込まれてしまった。
将棋電王戦(人間対コンピュータの将棋戦)では、もはや、人間(プロ将棋士)側が、弱者として立ち現れているということである。
別な言い方をすれば、コンピュータは、知識量、読みの速さ、読みの広さでは、完全に人間を凌駕している。ところが、人間がコンピュータに勝てるのは、創造力(奇抜な新手の創造)である。
コンピュータを中国と、人間を日本と読み替えると、同じことが成り立つ。
ということで、人間は、コンピュータがいまだ持っていない戦法、ゲリラ戦法とも言える方式を採用した。
弱者が強者と戦うときには、強者の土俵で戦っても勝ち目はない。相手の弱点を探して、その弱点に向けて闘いを挑むのが、常道である。
どれほどの強者でも必ず、弱点を持つ、アキレス腱を持つ。
注)「アキレス腱とは、ギリシャ神話の英雄アキレス(アキレウス)のかかと部分の腱のことをいい、不死身を誇っていた勇者の唯一の弱点であり、戦闘中にそこを射られて死んだと言われる」引用from"アキレス腱とは何か - 日本語を味わう辞典"
私達が、意識しなければならないのは、これらの戦いにおいて、どちらの側から眺めているかである。弱者側からなのだろうか、それとも強者側からなのだろうか。
両者では、眺める風景、光景が、ずいぶんと違ったものに見えてくる。となれば、何故世界中の多くの若者達が、イスラム国に引きつけられるのかも見えてくるかもしれない。