真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

自分なりの判断の基準を持つ

「女は弱し、されど母は強し」、という表現が存在する。私には、「女は強し、されど母はさらに強し」、と言い変えるべきだ、と思えるのだが。
長男が15年前に独立してからずっと長きにわたって、女四人(妻、長女、次女、三女)対男一人の境遇を生きて来た身としては。
話しを戻して、弱さの原因の一つに、優柔不断、なかなか決心、決定、決断、決意などができないことから来る場合がある。
それらがなかなかできない理由として、判断の基準(規準)を持っていないことがあげられる。
例えば、先程の「女は弱し」、であるが、女が若い頃には、定まった大きな目標、生き甲斐などを持っていないことが多い。
ところが、子供を持つと、すべき事柄が定まることが多い。つまり、判断基準が明確になるのだ。これが、母となった女を強くする原因であろう。
ということで、今日は、「判断の基準(規準)を持つ」ことについて考えてみた、特に、基準の立て方について。
1)二項対立:分別。言葉は、事象を切り取ることである。言葉には、背後に裏、反対を隠し持っている。例えば、白と言えば、必ず、背後に黒が隠れている。未来と言えば、過去が即座に思い浮かぶように。
どんな事象も言い表す言葉を持たねば、存在が認識されない。言葉を持った途端、二項対立(:分別)である。例えば、外と言えば、内が二項対立として存在する。
先程の優柔不断も、外と内(自分)では、外(自分以外)を意識し過ぎるがために、決定できないことが多くなりがちである。それ故、優柔不断が顔を出す。
二項対立は、世の常なので、あらかじめどちらかに決めておく、というのも手である。でもそれも決められないって。そんなの私は知らない。勝手にせよ!
2)全無(全か無か、悉無、白黒)論対確率論。他人同士の論争、議論を聞いていると、すれ違い、噛み合わないで、互いに自分の主張を繰り返すだけの不毛な展開が続くだけだ、と感じるものも多い。
その原因の一つが、二項対立の内、お互いが他方を主張して、譲らないことから来ている場合がある。
もう一つの原因として、片一方が悉無論を下に話しを展開し、他方が確率論で応じている結果、話しが噛み合っていないことがある。同じ論理の土俵にいないので、議論にはならない。
例えば、あるとかないという場合でも、全(100%)か無(0%)かのどちらかしか取り得ないのか、それとも、%で表し得る数値を取るのかの、確認をしないまま、話しを進めて、すれ違っていることも多い。
例えば、弊害がある、という言葉だけで拒否反応を起こして、もう前に進もうとしない。全無論的反応をする。確率論の話しに冷静に耳を傾けようとしない。
3)優先順位。これは、一人一人、国毎に、組織毎に異なる。個性が大幅に顔を出す。優先順位に正解はない。個性そのものである。相手を知るには、この優先順位という個性を知らなければならない。
愛する者をも、お金のためには、裏切るならば、その者は、愛よりもお金の方を優先させているのだ。どちらを優先させるかは間違いではなく、正しいかどうかではなく、個性の問題であるのだ。
4)階層構造。依拠する階層の違い。例えば、沖縄県(翁長知事)と国(安倍政権)とが、普天間基地移設問題で争っている。
国は、移設の必要性を最重要事項としてしている。がしかし、沖縄県知事は、それよりも階層的に上位に当たる、基地の数の不公平さ(沖縄県に基地が多過ぎる)に基づいて論理を組み立てている。
ある特定の基地に関してではなく、日本が、負担する基地の存在数の不公平さを問題の争点にしている。つまり、日本全体が考えるべきだ、と問うている。もっと言えば、日本全体が(基地に関して過重負担を沖縄県に押し付けて来た)加害者でもある、と問いかけている。
今まさに答えを返さねばならない大きな問いかけである。本土に住む者としての責務であろう。
5)哲学を持つ。哲学とは、知識、情報の体系化である。哲学を持つとは、自分内の知識を体系化することである。行き当たりばったりの、ぶれる、判断ではなく、首尾一貫した判断を下すためには、哲学を持たねばならない。
最後に付け加えておきたい、日本人ならばだれしも依拠しなければならない、判断基準が存在する。
それは、日本国憲法(法律)である。日本は、法治国であり、立憲主義に則っている。
ある首相のように、憲法を無視放置したり、政権を乗っ取って、気ままをするのも困ったものだ。