真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

恐竜の絶滅、人類の誕生と進化、失われた十年

私は、常々、「失われた十年」、「失われた二十年」、という表現に強い違和感を持ち、それをきちんと説明できればな、と思っている。
参考)「「失われた10年」とは誰にとってなのか。 - 真 夢人 日記」そこから引用。「「失われた10年」とは、「日本における失われた10年は安定成長期終焉後の1990年代前半から2000年代前半にわたる経済低迷の期間を指す語」である。
また、「失われた20年」とは、「日本において安定成長期終焉後の1991年(平成3年)3月から2012年(平成24年)11月頃までの約22年間を指す」そうである」
私にとって、何処に違和感を覚えるかといえば、この表現は、現状維持派からの視点であり、改革派からは、胎動の十年、二十年だと感じられるからである。とすれば、日本は、現状維持派が多数派であるという意味にもなる。
注)「失われた」は、経済に限定した表現であろうから、批判はお門違いとも言えそうなのだが。
それ(失われたから胎動へ)を、自然界からの例で示す。例えば、恐竜の絶滅によって、哺乳類は適応放散した。それに関して、私が書いたブログ記事、「恐竜の絶滅とそれがもたらすもの - 真 夢人 日記」、を提示する。
そこから引用。「恐竜の絶滅によって、哺乳類が適応放散として、多くの哺乳類の系統が放散的(四方八方)に進化した」
恐竜という圧倒的に強い敵に押さえられて、夜の世界でひっそりと生きて来た哺乳類が、その重しが取り除かれて、大発展、大進化を果たした。
それに関して、日本の例を示すと、最近、シャープや東芝が、倒産状況にあるが、それら(主に製造業者)が、倒産することによって、新しい適応放散が起こると思っている。否、起こったと思っている。
それに関して、私が書いたブログ記事、「日本の第三次世界進出 - 真 夢人 日記」、を提示する。
そこから引用。「私は、今日本は、"第三次世界進出"をなしつつあると思っている。ということは、"一次世界進出"や"第二次世界進出"があったということになる。では、第一次や第二次はどんなものだったのだろうか」
「日本は、江戸から明治の過渡期に始まった、富国強兵から一次世界進出をスタートさせた。敗戦後の復興から経済立国として第二次世界進出へと旅立っていった。挫折を経て文化立国として第三次世界進出へと羽ばたいている」
腕力、武力による第一次世界進出、経済による第二次世界進出、文化による第三次世界進出。
失われた十年、二十年の間に、私は、このような大規模な世代交代が行われた、と感じている。だから、歴史という観点からの命名も欲しいと念願している。
とは言っても、私には、残念ながら、それらを実証的に説明、解説する、技量は全くない。
ではあるが、題名に掲げた三つの言葉、1)恐竜の絶滅(大きな存在の消滅)、2)失われた十年(胎動期)、3)人類の誕生と進化(新しい存在の躍進)、が繋がった関連性を持つことは、理解して頂けたのではないか、と思う。