真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

「保育園落ちた 日本死ね」をじっくりと考えた

もう過ぎた話題だよね、と言われそうな内容だが、そこをあえて取り上げたい。まずは、私のブログ記事、
なぜ俳句は豊かな内容を表現できるのだろうか - 真 夢人 日記」、から引用。
「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」by「石川啄木」では、東海➝小島➝磯➝白砂➝蟹➝戯れるわれへと、はるか上空からどんどんと自分へと、視線をたぐり寄せる描写にはものすごいものがある」
その視点で、この発言を考えた。「保育園落ちた 日本死ね」は、保育園落ちたのは、個人の出来事であるが、日本死ねは、国全体である。個人の出来事に国全体が責任を負え、と迫っている。
このスケールの大きさに、私は圧倒された。この展開に意表をつかれた。であっても、後で述べるが、この発言は、正解を突いている。
さらにまたそこから引用。
「私は、俳句に興味があったが、その興味の中心は、なぜ俳句はこのように短い表現なのに、こんなにも豊かな内容を表現できるのだろうかということだった。
その理由が、今回講座を聞いて氷解した。結論を言えば、歴史を背負う言葉を使うからであった」
一個人のブログ記事、「保育園落ちた 日本死ね」が、全国に響き渡ったのは、この表現が、歴史を背負う言葉という表現を借りれば、全国の母親、否、女性の気持ちを背負う表現だったからだろう。
ことの発端は、民主党の山尾議員が、国会で、このブログ記事を取り上げたことだ。
安倍首相は、冷たく突き放し、与党議員らが、それに追い打ちをかけるように、「「出典はないんだろ出典は」「誰が言ったの」「本人出てこいよ」などとヤジが飛ばされた」
参考)「【衆院予算委】「保育園落ちた日本死ね」ブログで激論 安倍首相「匿名である以上確かめようがない」(1/2ページ) - 産経ニュース
参考)「保育園落ちたブログに「ホントに女性が書いたの?」 国会でのヤジ謝罪した平沢勝栄議員が再び燃料投下
これらのいきさつを見聞きした、全国の女性達が立ち上がった。「保育園落ちたの私だ」、と国会前で、抗議した。
また、署名が集められて、山尾議員へ、そして、厚生労働大臣へと、手渡された。
日本全国の個々の母親、女性の心の中にくすぶっていた、保育所入所困難な問題で苛立つ気持ちを、一つにまとめる役割を果たしたのが、あのブログ記事だった。
また、彼らの気持ちを燃え上がらせたのが、安倍首相の冷たく突き放す発言であり、自民党からのヤジであった。
その結果、今や、参議院選挙の争点ともなろうとしている。「保育園落ちた 日本死ね」は、ここまで、発展拡大して来た。言葉が、人々の気持ちを、呼び覚まし、意思表明、意思表示行動化へと駆り立てた、といえる。言葉恐るべし。