真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

田母神氏の「言論の自由」とパーセントの世界

[田母神前航空幕僚長]
◎田母神前航空幕僚長の「言論の自由」発言が問題になっている。先日も彼は国会で参考人として呼ばれた。
[言論の自由]
◎約2時間半の国会での答弁を終えた後、彼は報道陣に、①「言論の自由があり、村山談話といえども制約することはできない」と語った。
[村山談話言論の自由]
◎しかし、私には、②「言論の自由があるといえども、村山談話があるから制約される」とも考えられる。どちらの論理もあり得る。
[質的な違い]
◎しかし、①で使われた「言論の自由」と、私が述べた、②の「言論の自由」とは、質的な違いがある(と思う)。
[論理的意味が異なる]
◎両者の「言論の自由がある」には論理的意味が異なる。①「言論の自由」では、あるかないかだけを問題にしている。つまり、0%か100%か、"all or nothing"を問題にしている。
[北朝鮮でも言論の自由がある]
◎①の意味での「言論の自由があるかないか」に関しては、北朝鮮でもあると思う。しかし、②の意味での「言論の自由」に関しては、極めて制限されている。
[許される質と量]
◎だから、問題にすべきは、「言論の自由があるかないか」(YESorNO)ではなくて、どれほどあるか、どれほど許されているかという「質と量」("How-much"and"How-many")である。
[言論の自由の幅・大きさ]
◎私には、①「言論の自由」があるかないかを問うのは余り意味がないと感じる。問うべきは、日本は中国よりも、「言論の自由」の幅・大きさは大きいというような、その「質と量」である。
[聞く側の論理も考慮]
◎例えば、私が職場の同僚を激しい差別をする発言を、「言論の自由があるから、私の発言を制約することはできない」とは(言論の自由があるから)いえても、誰も認めてはくれないだろう。言う側の論理だけではなく、聞く側の論理も考慮せねばならない。
[言論は制約される]
◎理由は簡単である。私の言論が、相手を傷つけるからだ。このような言論は制約される。「言論(の自由)」の質が問われなければならない。
[言論の自由発言だけを問題]
◎論文の中身も考慮すべきだと思うが、論点を絞りたいので、今回は、論文の中身についてではなく、「言論の自由」という発言だけを問題にする。
[言論の自由]
◎もう一度おさらいをすると、田母神は、「自衛官も当然、言論の自由が認められているはずで、言論の自由村山談話で制約されることはないと思っていた」と発言した。この時の前者の「言論の自由」は、①の用例であり、後者の「言論の自由」は、②の用例である。
[優先順位を極めて高く評価?]
◎もしかすれば、彼は、後者の「言論の自由」も①の意味で使っているのではないかとも感じられてならない。もちろん、確証はないのだが。あるいは、彼は「言論の自由」の優先順位を極めて高く位置づけているのだろうか。
[言論の自由表現の自由]
◎また、彼は、「自衛官には憲法の保障する『言論の自由表現の自由』はないのでしょうか」と問いかける。この場合の用法も、①である。
[麻生首相の応答]
◎その発言に対して、麻生首相は、「そりゃ、言論の自由はありますよ、誰であろうと、日本人であれば、言論の自由はあります。当然です。表現の自由、思想・信条の自由これは、みんなあります。当然のことです。ただ、これを文民統制というのをやっている日本の中において、幕僚長というしかるべき立場にいる人の発言としては不適切。それがすべてです」と、納得のいく応答をしている。
[用法(の違い)を心得る]
麻生首相は、①と②の用法(の違い)を心得ている。誰しも、100%の「言論の自由」は与えられていない。とはいえ、時代によっては、「言論の自由」を守るために、命を差し出す人々もいたが。
[わざと誤用?]
◎田母神前航空幕僚長は、その違いを分かった上で、わざと誤用しているのか、それとも、①と②の用法の違いをご存じないのであろうか。
[マイナス使用が後を絶たない]
◎話題を変えるが、車や包丁の有用性が極めて大きいものであっても、最近引き続く車による引きづり殺人や、包丁での刺殺という大きなマイナスの使用が後を絶たない。
[規制がかけられない所まで行く]
◎包丁は余りにも普及しすぎて、もはやそれらに規制はかけられない所まで行ってしまった。だが、さすがに「ダガーナイフ」は殺傷力が高いので、規制がかけられた。
[製造者側も安全性を高める努力]
◎車もナンバープレートをつけさせたり、交通規則を設けたりと、さまざまな規制をかけている。逆に製造者側でも、安全性を高める努力がなされている。
[規制をかけるのは当然]
◎これら同様に、先ほど例を述べたように、「言論(の自由)」にも規制をかけるのは当然である。そして、その規制は、国によって、立場によって、TPOによって「質と量」に違いがもうけられている。
[集団的自衛権を行使すべき]
◎もう一つ気になる事柄がある。社民党山内徳信議員から「集団的自衛権を行使し、武器を堂々と使いたいのが本音では」と問われると、顔色ひとつ変えず「私はそうするべきだと思います」と答えたそうである。
[自衛隊側からだけ見る]
◎私には、田母神氏は自衛隊からしかものを見ていないという視野の狭さがあると思える。省益しか考慮しない役人(官僚)的論理である。
[国民が置いてきぼり]
◎これでは、国民が置いてきぼりを食らう。「文民統制」が本当に守られるのだろうかという恐怖心が湧いてくる。省益の考慮だけの役人(官僚)的論理でどれだけ国民はひどい目に遭ってきたことか。
[国防軍に敬意を払うべき]
◎田母神氏の件で、さまざまなブログも渡り歩いた。その中に、「命を懸けて国を守る国防軍には、最大の敬意を払うべきだと思います」という意見を見かけた。
[自分を守ってくれるは大間違い]
◎さらに、「普段こんな酷い扱いで、有事に当然自分を守ってくれると思っていると大間違いです」と述べたものもあった。
[私は素直に信じられない]
◎私には、この人たちは素朴にそう思っているのだろうと思えたが、「命を懸けて国を守る」や「有事に当然自分を守ってくれる」を私は素直に信じられない。そういう世代(私は今年60歳)である。
[文民統制は必須の重要事項]
◎ということで、「文民統制」とは、車に交通規制をかけ、危険物に法律的規制をかけるのと同じ趣旨である。どうしてもなくてはならない重要事項である。
[村山談話は決定事項]
◎「文民統制」は、上司に意見を述べることはできるが、決定事項には従わねばならない、組織としての常識的規制である。村山談話は決定事項である。
[組織は崩壊]
◎それを破ることが常態化すれば、組織は崩壊する。そして、防衛省の今までの一連の騒動を考えてみれば、組織は相当に歪みが、たがのはずれがひどいと感じられる。
参考資料→(私のブログ)「自衛隊とはなっだったのだろうか」
参考資料→(私のブログ)「自衛隊の集団暴行死と角界のかわいがり死」参考資料→(私のブログ)「自衛隊は何をする職業なのだろうか」
[たがのはずれがひどいことの結果]
◎今回の田母神前航空幕僚長の「言論の自由」発言も、そのたがのはずれがひどい結果であろうし、それを放置すると、更にいっそうたががゆるむ。強い処分を期待するのは、戦争を経験した国民の意思である。 自衛隊への意思表示である。