真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

KJ法と弁証法とは同根

私は、このブログで、前々回、「情報分析と情報統合と - 真 夢人 日記」、という記事を書いた。そこで、川喜田二郎氏の発想法(KJ法)を取り上げた。
ということで、今日は、KJ法の妥当性について述べたい。
私は、以前にも、このブログで、川喜田二郎氏の発想法(KJ法)を取り上げている。そこ「坐禅と前頭前野の関係は??? - 真 夢人 日記」から引用。
「◎結論だけを言えば、合計の情報(四項目×四=十六情報)が少ない場合には、無意識的直感よりも意識的思考の方が正解率が優れていた。
◎しかし、情報が多く(十二項目×四=四十八情報)なれば、四分の間他の作業をすることで考える時間をもらえずに即座に出す無意識的直感の方が、四分間考えて出す意識的思考よりも優れていた。
◎結論的に言えるのは、意識が扱える情報量はそんなに多くないので、一時に扱う情報量が多ければ、意識的思考よりも無意識的直感の方が信頼できるということになる。
◎つまり、情報量が多ければ、それらをまず頭の中に放り込んで、熟成されるのを待って、答えが自然とポッと意識に放り込まれるのを期待するほうがより良い選択となる確率が高い」
つまり、心理学では、情報量が多い場合には、意識よりも無意識の方が優れているという。なお、フロイトユングなどの心理学は、無意識を扱う。
その内で、ユングの方は、無意識を成長の種として好意的に見ている。上の実験結果からもうなづける考えである。
次に哲学は何を言うであろうか。これも、私の、このブログの、記事「トーナメント形式システムにおける「矛盾的自己同一」 - 真 夢人 日記」から引用。
「◎西田幾多郎が使った言葉は、その前に「絶対」が付いた「絶対矛盾的自己同一」である。その言葉の意味は、「相反する二つの対立物がその対立をそのまま残した状態で同一化すること」である。
◎矛盾的(相反する)二つの対立物が、対立をそのままに残した状態(自己同一)である。それを可能にするのが、「階層構造」である。
◎二つの対立物がバラバラの個別の階層にあるものが、階層を上昇することで、自己同一(分離しないで一つの物として存在)する。
◎例えば、色では、別々の「赤」と「青」とが結合(階層上昇)して自己同一すると、「紫」になるように。逆に、「プリズム」(fromWikipedia)は、自己同一する色たちを個別の色に分離(階層下降)させる」
これは、西洋の弁証法と同じである。バラバラの個々の言葉や事象を統合(階層上昇)させることで、個々の要素を残したままで、自己同一(止揚)させられる。
さらに宗教を見ていく。これも、私の、このブログ記事、「トーナメント形式における「統合と分解」の統合力の根源 - 真 夢人 日記」、から引用。
「ただわが身をも心をも、放ち忘れて仏の家に投げ入れて、仏の方より行われて、これに随いもてゆく時、力をもいれず、心をも費やさずして、生死を離れ仏となる」「仏道を習うと言うは自己を習うなり。自己を習うというは自己を忘るるなり。自己を忘るるというは、万法に証せらるるなり」
仏、万法を無意識と解釈すれば、心理学も、哲学も、宗教も同じ見解を持っていると言えそうである。
意識的努力を捨てて(自己を放ち忘れて)、事象に向き会えば、無意識(仏)の方より行われる、と。